446歳と15歳。おめでとう!

今日は記念すべき誕生日。
シェイクスピアさん、生きていれば446歳(生きていられるわけないけど)。
アカデミック・シェイクスピア・カンパニー(ASC)くん、まだまだ満15歳。
おめでとう!
 
446年前のことはよくわからないけど、15年前の4月といえば、ミーティングばかりしてたなぁ。確か創立メンバーで24時間ぶっ通しでミーティングしたのもこの頃。青いなぁ。若いなぁ。グローブ座での旗揚げ公演が決まったのもそのミーティングでだった。僕はやるつもりじゃはじめなかったのになぁ。だってみんな、いくらかかると思ってるの?! でもみんなやりたいって言うんだもん、僕もやろうって言っちゃうでしょ?! 結局大赤字だった。三桁の赤字。2〜3年で最終的に4桁になりかけた。少しずつ少しずつ返して今やっと半分か。完済できていない現実を、そうだ、しっかり見つめなくては。
 
話が暗くなってしまったではないか。あ、もうひとつ思い出した。劇団結成の言いだしっぺはたしかに僕だが、初代代表職は実は若干21歳の鈴木麻矢だったのだ。副代表が30歳前半の僕、菊地一浩、畠山智行だった。代表としては、僕は2代目。たぶんグローブ座でやることになって、当時まだ21歳の彼女にその荷を負わせるのはカワイソ過ぎるということになって、で僕になった。それもあのミーティングのときだった気がする。
もうひとつ思い出した。シェイクスピア生誕日を記念してASCの創立日にしようと提案してくれたのは、20歳台前半だった若き萬谷貴司であった。彼はアイデアマンで、いつもいい提案をしてくれた。
永田陽二、内藤達夫、守屋建史も含めた創立メンバー第1陣8人で、ゼネラルマネージャー簡憲幸さんのおかげで幸運にも手に入れた稽古場、当時の日本橋アトリエ前の駐車場で撮影した写真が懐かしい。その直後に、10月創立記念公演「ジュリアス・シーザー」のオーディションで石山崇、翌年春の第2回公演「マクベス」で金子はりいらも加わることになる。「ジュリアス・シーザー」の仮チラシ表面は僕の顔写真アップだったが、期待と不安の入り混じった少々複雑な表情が、無謀ともいえる大いなる船出を象徴しているようだった。そして、夜の等々力緑地、昨年秋の野外稽古でも使用した思い出の場所だが、そこでゲリラ的に撮影した「ジュリアス・シーザー」本チラシ表面の写真(上記)が、全員の決起・決意を感じさせる素敵な上がりとなった。思い出は尽きない。
 
丸15年が経過した。旗は降ろしていない。いや、まだ降ろせない。だってまだ恩を返していないもの。
「Education」「演劇教育」「“ニューフィクション”メソッド」。15周年を迎えASCのスローガンとしてあがっている言葉たち。さあ、どこまで突っ込んでいけるのだろうか。15周年を記念して、新たな劇団理念も打ち立てた。
 
「Direct, Straight, for the Dynamism.」(まっすぐに、ただひたすらまっすぐに。) 
 
こんなふうに言葉にするまでもなく、15年間ずっとそうやって来た。そしてこれからもそうあり続けようと思う。ただし、まっすぐにひた走るあまり応援してくださる周りの方々にご迷惑をかけることは必ず避けよう。これまでご迷惑かけすぎました。反省しています。 
 
「迷惑をかけない。」「感謝を思い知る。」
もうひとつの理念と決め、忘れることのなきよう、今日の良き日にここに宣言いたします。
 

皆様、今日まで本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
まだまだでございますが、今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

そしてシェイクスピアさん、本当にありがとう!
 
2010年4月23日
アカデミック・シェイクスピア・カンパニー(ASC)代表 彩乃木崇之