躊躇の仕方、大人と子ども。

大人と子どもの大きな違いを、昨日のレッスンで改めて気がついた。
  
昨日は小1の女の子と年中の男の子、その姉弟がレッスン会場に乱入してきた。というのは“あやのぎ塾”のレッスン会場は、神社の真横なのだ。境内側に窓があり、その窓がまたとてつもなく大きい。つまり参拝者から丸見え。七五三や新成人のお宮参りなど、とても季節を感じられるロケーション。そして、昨年秋の野外リハーサル会場「等々力緑地市民ミュージアム前広場」
http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/20091005/p1
と同様、一般の皆さんとの思いがけない交流ができるのだ。
 
で、二人の子どもたちの乱入となった。
乱入直前、折りしもペリクリーズとマリーナの劇的再会のクライマックスシーンを稽古中、塾生は思いっきり煮詰まっていた。どうやればいいかかなり戸惑っていた。演技することに躊躇していた。
そんなときに子どもたちが大接近してきた。遊ばなくては面白くない。窓ガラスに鼻をこすりつけながらレッスン会場に入っていいかどうか躊躇していた姉弟は、こちらからの受け入れ信号を感じ取るやいなや猛然と乱入。しばし託児所状態。遊んだ。遊びの中で面白いことに気がついた。
 
行動を躊躇しているときの、大人と子どもの重心の位置だ。
子どもは前、大人は後ろにある。
つまり、両者の心の中では、子どもはその行為をやりたいという積極的な意志が勝り、大人はやめたいという消極的なためらいに支配されがちなのだ。子どもとは、ゲートインした競走馬のようだ、走り出したくてしょうがない。恐れを知らない。喜びしかないのか。
 
まるで印象が違う。大人が子どもたちに未知なる可能性と強い生命力を感じ取るのは、こういうところに秘密があるのかもしれない。
関係したいという強靭な欲求。
 
子どものように、稽古がしたい。