本気の効用。「ペリクリーズ」の人たち。

ふと思った。
あたりまえをやると勇気が生まれ本気になれる、と。
本気になると、いいことがたくさんある。
 
余裕が生まれる。
イメージが湧いてくる。
明るくなる。
自然にモチベーションがあがる。
想像を超えたことを思いつき、実現に向かう。
 
稽古場を創造的にするのは、メンバーの本気度による。
実は芝居がうまい・下手では左右されない。技術も直接関係ない。うまい俳優でも慢心していると、途端に稽古場のモチベーションは下がる。さらに、下手な上に甘えていると、それはもうやる気がないという表明でしかない。稽古場にいる資格さえない。反対に、経験も浅く技術的に未熟でも、志はすこぶる高い若者がいたりすると、俄然嬉しくなる。彼のためになにかやりたくなる。
 
できるかできないかで悩んでいるうちは、実際は何もやっていない。停滞は、心が腐る。1歩ずつでも前進していれば、勇気が生まれる。あたりまえだ、止まっているよりもゴールに近づいている。生命力とは実はシンプルだ。
 
本気になると、悩まなくなる。できるかできないかで悩まず、
「するかしないか」を考え始める。実現に対し、具体的に考えることができる。
 
そして迷ったとき、ほとんどの場合「する」を選べばいい。これもあたりまえだ、絶対実現不可能なことで人は悩まないから、迷ったら実行すればいい。
迷いは単なるGOサイン、演技で言えばQだ。Qを逃すと芝居は途端にダメになる。人生もそうに違いない。迷ったときこそ、やるとき。それが、あたりまえ。
 
ただ、あたりまえをやるとき、ちょっとだけ頑張らないといけない。「ヨッ!」という気合がいる。Qは誰でも感知できるのだが、この「ヨッ!」が結構できない。やってしまえばほんのちょっとの頑張りがいるだけなのだが、Qの瞬間やるのを躊躇してしまう。めんどくさかったりするのだ。
 
「ペリクリーズ」の登場人物たち。
この「ヨッ!」がすごい。常人の「ヨッ!」ではない。命がけだ。命がけで「あたりまえ」を猛烈に実践している。
 
「あたりまえ」をやり続けると、どんどんそれを邪魔する障壁が現れてくる。その見本みたいな作品だ。現実社会ではそんなとき、互いに妥協しあってそれを容認する。正論は煙たがられ、あたりまえをして摩擦をうむことを上手に避ける。で、一見平和にもつながっていたりする。
 
ペリクリーズやその娘マリーナは、絶対にそれを許さない。だから、いつも前向きだ。マリーナにいたっては、ありえないほど前向きだ。そして幕切れ、登場人物たちは、これまたありえないほどの幸福感に包まれる。このありえないほど人としてあたりまえなのが、実はシェイクスピア・ロマンス劇の魅力かもしれない。
 
「ペリクリーズ」の上演意義を、日々実感できることに感謝している。
創立15周年記念公演「ペリクリーズ」、あたりまえだが本気でやる。