叡智の集め方。無駄な挫折感。

本気でやると、気持ちがいい。
 
前日の日記「本気の効用」にこれを追加。
それから逆に、本気で物事に取り組まない場合のもっとも大きな弊害について。
本気じゃないくせに下手に立派なことをやらかそうとすると、無駄で余計な挫折感をどんどん招いてしまう。これを積み重ねてしまうと、最終的には自尊心を失う。本当の自分は、実は正しいことを知っている。心と行動のギャップは、一時ごまかすことはできても決して埋まらない。どんどん大きくなる。ついには精神を病む。
人生においてこれは好ましくない危険な状態だが、意志によって必ず避けることができるはずだと思う。
 
本気で取り組み徹底的に考える。それでもなんら具体的な方法や打開案が浮かばないときがある。そういう場合のほうが多いかもしれない。それでいいのだ。とことん考えれば、正直に「わかりません」と言える。その言葉には、すでに人を動かす力がある。人から「知」がやってくる。その「知」を受け取る力も備わっている。
そしてさらに考えることを本気でやり続ければ、人だけではなく、自分をとりまく環境すべてからあらゆる叡智が集まってくるのでは。それは、本気で考えなければ感知できなかったものだろう。
 
叡智の元となるあらゆるデータは、どんな人にも平等に与えられているように最近強く思う。あとは感知し拾うか拾わないか、それは各人の意志次第。そして、拾うことを選択した人が、恐らく本気の人なのだろう。
「人事を尽くして天命を待つ」とは、こういうことなのだろう。
 


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