芸術家は、真の公務員たれ。副題:仕事とボランティアの間(はざま)。

先日子どもたちのことで(自分のではなくたくさんの子どもたちのことで)、地元の区役所を尋ねた。僕の住む川崎市の地元区役所は、子育て支援などとても活発なのだ。そこに、演劇人の僕らでもできることが何かないか担当の人を尋ねてみたのだ。
とてもいい方だった。2時間丸々、しゃべったそして話してもらった、感謝。区がどのように子どもたちのことを考え、かつ大切にしてくれているかよく分かった。さらに、僕らにできることも多くあると確信した。その方の紹介から別ジャンルの同志ネットワークも広がりそうだ。
が、その方、最後に一言、いや数回、念押すように。「ビジネスにはなりませんから」。
う〜ん、どうすればいい、この気持ち。
 
この日具体的な提案としては、二つ持っていった。きちんと企画書を作成した。日野が基本を作ってくれて、僕が最終的な直しをいれた。彼女のブログで、最近教育に関しての記事が多いのはそのため。いろいろブレインストーミングをしてくれた。手前味噌だが、この企画書はなかなか出来がいい。近々、公表しようかな?
 
自画自賛から話を戻す。
その二つの提案とは、小中高校生を対象とした無料ワークショップの実施ならびに「ペリクリーズ」勉強会の無料観劇&野外リハの自由参加だ。今回の提案は全部無料、最初からお金儲けの話じゃないんだけどなぁ。ビジネス目的の人が多く尋ねてくるんだろうなぁ、きっと。その方曰く「ボランティアです」。
 
僕も言いたい、「僕らはボランティア希望者ではありません」。いやいや、そのときその方にはっきり言ったわけじゃない。実は言いたくなったけど誤解されそうなのでやめた。それに、「ビジネスです!」とも絶対言いたくない。そう言うと縁がなくなるだけではなく、正直な気持ちがそうだからだ。金儲けという意味でのビジネスじゃない、がかといって無料奉仕もちがう、僕らはあくまでアーティスト、少なくとも芸術家の端くれだ、芸術家とはなんだ、公的使命を担う者、少なからず生きる営みに影響力を持つ仕事だ。で日本社会においては、ボランティアなら重宝される専門家だが、いざ予算がかかるとなると真っ先にきられる余計者。
 
人が生きることにおいて直接的な働きかけが大いにできるこの仕事に、僕は誇りを持っている。俳優として舞台の上に立つことは、公人の行為だと思っている。それを舞台の外にも広げていきたい。つまり、演じることだけではなく、日常の自分自身の存在そのものが演劇行為に直結するような活動をしたい。公人としての使命を感じられる日常生活を送りたいのだ。
 
区役所でのお話中、この「公人」という言葉が脳をめぐった。そして、目の前の方ももちろん公人だ。教育委員会と区役所員という二つの肩書きの方、誰がなんと言っても公人、正真正銘の公務員。話をさせてもらってはっきりしたが、志はまったく同じ。少なくとも僕はそう感じた。子どもたちのことを本気で考えてくださっている。ありがたい、またまた感謝。ひとつだけちょっと寂しかったのは、その方は観劇体験がなかった・・・(よし、これからたくさん観てもらおう!)。 
 
演劇、芸術は、日常ではボランティアとしてでしか社会参加ができないのか。なぜだ? 僕らにとっての仕事を使命を、社会はどう見ているのだろうか? 公人として社会に絶対必要な存在であると認めてもらうには、どうすればいい? 僕らになにが足りない?
芸術家として僕は、できるものなら公務員になって社会から報酬をもらいたい。それだけの価値ある仕事をしたい。それだけの仕事が出来る自信と誇りがある。 
 
舞台の上だけでは、足りないのだ。演劇人として社会貢献できる場を加速度的にもっともっと増やしていかないと、大げさじゃなく死んでも死にきれない、と最近そんなことをとみに考える。50歳の大台までカウントダウン、歳のせいか。
 
子どもたちの未来、そのためになにが出来るか、
演劇人としてそのことだけを本気で考え、残りの人生を全うしたい。