一点の曇りもない強烈な差別。

以下のメール返信文は、ASCの古くからのお客様からいただいた「ヴェニスの商人」についての貴重なご感想に対して僕がお返事を差し上げたものです。開かれた劇場、差別という問題、僕はこんなふうに考えています。
 
彩乃木です。
先日はお忙しい中ご観劇くださり、本当にありがとうございました。また、貴重なご感想を頂戴し、重ねてお礼申し上げます。ご返信が遅くなりまして、申し訳ございません。
 
観客席の形状、そうですね、僕にとっては大きな関心事かもしれません。客席を含めその劇場空間が持っている「気」みたいなものに、僕はとても大きく影響されるように思います。空間によって最終的に演目が決まる場合も少なくありません(もちろん現代における上演コンセプトなどを考えた上ですが)。
 
観客参加の演劇、これはもう30年も前に寺山修司さん・唐十郎さんら小劇場運動第一世代の錚錚たる面々が、様々な形で挑戦し続けた大テーマです。
フランス・ロシア近代劇以降、なぜか観客はデバガメ化されてしまっています。人のプライベートをこっそり覗きみるのが観客、と観客自身も思い込んでしまっているように感じてなりません。
シェイクスピアギリシャ悲劇、あるいは江戸の歌舞伎のように、もっともっとオープンシアターとして、開かれた空間として、また気楽な遊びの場としての劇場や演劇がいいなぁ、と最近とみに強く思います。
 
今回も実は円形の客席を考えつく前には、別の形を強くイメージしてました。プロムナード形式です。つまり、観客が劇中自分の好きな場所に移動して、いろんな角度から自由にお芝居を楽しむ形を何とか実現したいと考えておりました。
そして1月に5日間ほどあの遊空間がざびぃを借りて、様々な客席形態の実験をした結果が、今回本番でご披露した円形の客席でした。プロムナードにするには少々空間が狭すぎたのが断念した大きな理由です。プロムナードの魅力や効果をできるだけ引き出す別の方法、移動するという観客の自由それはときおりストレスにもなる、それを軽減する方法が、円形の客席かつ客席内に出演者が入り込む、隣に座るなどという発想につながりました。
 
ヴェニスの商人」、強烈な差別の芝居です。
そういう意味では、人間の悲劇です。
この強烈な差別、とくに3幕のバッサーニオの箱選びまでは、一見ほかの作品と変わらないかのようなヒロインに見えるポーシャ、彼女は実はこの作品中もっとも強烈な差別の持ち主だと思います。その差別意識に関して、一点の曇りもない。つまりまるで後ろめたさがない。いやな女。
 
一点の曇りもない強烈で猛烈な差別。
 
こういうことを考えるとき、僕はいつも一枚の残酷な写真を思い出します。確か南京大虐殺のときの戦時中の写真だと記憶してますが、日本兵何人かが満面の笑顔で写っています。その足元に虐殺された民間中国人の死体の山。一人の日本兵は手に何かをつかみ上げて誇らしげです。その何かとは、中国人妊婦の腹を掻っ捌いて取り出した胎児です。その日本兵の笑顔、まるで快晴の青空のもとハイキングで山頂に到着したときのような清清しい爽やかなもの。僕にはそう見えました。信じられない。が、写真は存在する。
 
今回の演出では、裁判シーンにおいてアントーニオがシャイロックに十字架の烙印を押すかのような場面があります。灼熱に熱された十字架の剣、それを胸に押し当てられたかのように絶叫するシャイロック
このシーンを初めて稽古したとき、シャイロックの僕が初めて絶叫したとき、ポーシャを含めほかの出演者のセリフが一変しました。なんだか元気がない。後ろめたいの?あとで聞いてみると、とても罪の意識を感じちゃったとのこと。「日本人的にはちょっと強烈すぎない?観客に受け入れてもらえるかな?」と、稽古後の帰り道話していたそうです。
次の日そのことを気いて僕はこう言いました。
 
「もっともっと強烈にしていきましょう。そして、それをどんどんドライに演じていきましょう。ウエットになってはいけません。極端なまでに強烈な差別、超ドライな表現、かつそれを最後の最後まで笑い飛ばしてほしいです、とくにキリスト教徒役の人たちは。
人間の根源に潜む強烈な差別。これは消えない。だからこそ、今この作品をやっている間はそれを罪だとは思わず、少々不謹慎ですが思いっきり楽しんでください。楽しんで差別しましょう。きっと実は猛烈に愉快なはずです。
そのとき、いったい観客に何が渡るでしょう?!」
 
差別は悲劇です。
が、どんなに教育が進もうと差別そのものはなくならない、おそらく。差別せざるを得ないのが人間だとしたら、あまりにもおろかな存在。
 
誤解を招きそうで怖いのですが、そしてもちろん反論するわけではなく僕の正直な印象なのですが、差別を悲劇だと捉える視点では差別をコントロールできないような気が僕はしてしまいます。それを人間のおろかな喜劇性として捉えるとき、宿業としての差別を人は制御できるような気がしてなりません。
 
だから僕にとっては、「ヴェニスの商人」はやはり喜劇なんです。
 
いつも本当にありがとうございます。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
お身体、くれぐれもご自愛なさってください。