バッキンガム考。

公式ブログの掲示板に小関先生からいただいたコメントに関して、
僕の考えを記したいと思います。
 
「王子を殺せ」というリチャードの要求に対し、
バッキンガムがなぜあのような態度を取ったのか? その本心は?
 
もしリチャードからその返事はどうかと詰問されていたら、
という仮定は、僕が始めて「リチャード三世」を演出した2000年にも、
また昨年の春の上演のときにも、そして今回もやはり考えました。
(実際にそのような設定での具体的なエチュードなどはやりませんでしたが)
 
バッキンガムはですね、この時点においての王子殺害には反対だと思います。
まず政治的理由から。
リチャードが市民の意向を無視し無理やり王位についた現時点で、
本来正統な王位継承者である王子を殺害することは、まず世論が許さないであろうということ。
ただし、このまま王子が成人するとなると、何らかの危険が生じることは考えていたはず。
だけどそれより何より、バッキンガムはリチャードに対する信頼を失いつつあったのではないでしょうか。
その理由の伏線になったのは、まだリチャードとスクラムを組む前の段階でのマーガレットの予言や、
殺される直前のヘースティングズの予言に少なからず影響されていたことがあると思います。
それらの予言に共通していることは、
「リチャードのそばにいる者は、破滅する」というものでした。
バッキンガムも大きな不安を抱えていた。
具体的には、その不安とはどういうものか。
 
ここに、この作品が素晴らしく魅力的である秘密が隠されています。
“真実と見せかけ”
これはシェイクスピア全作品を通じての、大テーマのひとつです。
シェイクスピアの作品が普遍的魅力に溢れている理由はここにあるといっても過言ではない。
つまり、人は見かけと考えていることがまったく違い、さらには
各人にとっての真実なるものは、人の数ほど存在するという真理。
人は、自分が正しいと思えば、それを真実と認識するおろかな生き物。
「リチャード三世」に登場するリチャード以外の人物は、すべてそのような人間たち。
 
僕のもっとも好きな台詞、それは残念ながら今回の上演ではそのほとんどが
カットされてしまった1幕1場のリチャードの長台詞。
「我らを覆っていた不満の冬もようやく去り、・・・・・」
この長台詞が物語っていることが、この作品のすべて。
ではリチャードは、この台詞でいったい何を語ったのか。
それはですね、要約すれば、
 
『みんな偽善者ばかりだ。でも俺は、そんな偽善者の仲間に入って偽の幸せを手に入れ
偽の幸福感に包まれたくても、このカタワの身体ではそれさえも許されない。
俺は今まで懸命に生きてきた。しかし、この身体のせいで何一つ報われなかった。
偽善者ばかりのこの世の中で生きられないのであれば、俺はとことんまっすぐ生きてやる。
欲しいものは、どんな悪事を働くことになろうとも、必ず手に入れてやる。
俺は、自分の中の真実と外に現す見せかけを一致させて生きるのだ』
 
なんといさぎのいい台詞であろうか。
人に媚びない、思ったとおり生きる。
普通そんな風に生きられないでしょ、とくに現代では。
リチャードがそう決心した直後、
前を通りかかれば犬も吠えかかる容姿の彼に、たぶん処女のまま夫を失ったであろうアンが、
彼の口説きに見事に落ちてしまう。
リチャードは輝き始めた、生き生きと。
アンを口説き落とした直後の彼の長台詞、実にウレシそうだが、
よく聞くと、とても哀しそうに聞こえてもくる。
『人間は、たとえ処女で未亡人であろうとも、なんと偽善に満ちた存在なのか』
その認識が、皮肉にも彼に勇気と自信を与え、彼の悪事に拍車がかかる。
過去2度ほどリチャード役をやって実感したが、
もし仮にアンを口説き落とせなかったら、きっとリチャードはその後の行動を起こしていなかったように思う。
そしてアンは、リチャードとベッドをともにし、眠れぬ夜の苦痛に耐えながら、
そのことを認識してしまうのではないだろうか。つまり
『自分のせいで、すべての悪夢が始まった』と。
アンはリチャードに暗殺されるが、暗殺を予感していたことは作品中のアンの台詞で明らか。
アンは、自らの責任を取るためにも、暗殺を受け入れたといえる。
 
話をバッキンガムに戻さなくちゃ。
つまりですね、この作品で死んでいく人たちのほとんどは、
自分だけの真実に固執し、『自分は正しい』と思い込むことによって、
その見せかけの自分を本当の自分と無理やり納得させ、
生きることの本質をつかみ損ねたゆえに、
それらの偽善を憎むリチャードの罠にはまっていくわけです。
だから死ぬのも、結局は自分の生き方のせい。自業自得。
で、バッキンガムは賢い人なので、自ら偽善を働きながらそのことに気づいている。
この辺が、ヘースティングズとはまったく違うところです。
だから、先のマーガレットやヘースティングズの予言に反応するのではないでしょうか。
作中はっきりと反応している場面はありませんが、僕は演じていて強く感じます。
とくにこの台詞、
「この私が?!公爵の心を?!それは分らぬ絶対に。あなたに私の心が分らぬように。」
まさに、テーマ。
 
もっと話を戻さなきゃ。
王子殺害の要求をどう捉えていたかですよね?
いったん退席して戻ってきたとき、原作ではリッチモンド軍が動き出した情報を知った上で戻ってきます。
つまり、バッキンガムはリチャードに対してある種の脅迫をしに来ているように思います。
『俺が敵に回っても、お前はいいのか』
まだ果たされていないバッキンガムへの約束(褒賞)の履行をリチャードに迫りますが、
それが果たされるか否か、バッキンガムはリチャードに最後のテストを行っている。
そのことのほうが、王子殺害についてどうこうより、バッキンガムにとっては重要な関心事ではないか。
王子殺害を拒む理由は、先も挙げたように政治的理由からといえば済むのではないか。
「よく考えてまいりました」とバッキンガムが言っているのは、
王子暗殺のことではなく、自分とリチャードの今後の関係のことではないか。
「ヘースティングズの二の舞だ」
リチャードに拒絶されて言うこの台詞、バッキンガムは
ヘースティングズを陥れたときも、いつ何時立場が逆転するかもしれないという危険性を察知していたのでは?
『王子の次は、自分だ』
 
小関先生、答えになってますでしょうか?
リチャードはきっと、欲しいものなど何もなかったかもしれません。
人の偽善を暴くことが唯一の目的、だから死の直前
「馬をくれ馬を! 馬の代わりにわが王国をくれてやる!」などと言う。
しかしその結果得た人生最大の認識は
「俺を愛する者は一人もいない。俺が死んでも憐れむ者はひとりもいないだろう。
だがそれも当然だ。この俺自身、俺に対して、憐れみを感じていないのだから」
 
哀しい話だなぁ〜