奇跡か、“シェイクスピア Duo オンデマンド”無事千秋楽!

なんともはや、怒涛の公演が終了しました。
ASCの本公演より、はるかに無謀?
ケガ人や病人が出なかったのが不思議なくらい。
じゃじゃ馬ならし」、ASCでの公演は3回目。
初演の時には本番中に骨折するケガ人が出た。
翌日やむなく休演(ASC最初で最後の休演)、その後僕がピンチヒッターで代役出演。千秋楽に本人復活。
簡単な立ち回り(殺陣)だったが、相手役が約束事を破ったためだった。彼に自覚なし。残念。
2回目の「じゃじゃ馬ならし」は、新人抜擢公演だった。
これもほとんどが若い出演者だったので小さな怪我がたえず、気をもんだ記憶がある。
 
そして今回は、Duoという形態の難しさのためか、
結果的には、もっともハードなスケジュール&リハーサルとなった。
それゆえか、実は、劇場入り1週間前に降板騒ぎもあったりした。
演出補・監修の僕は、いつもハラハラ。
最終的には、楽日に小道具の椅子の脚が折れただけで、無事に幕。
安堵。
 
年末のお忙しい中、ご来場くださった皆様、
本当にありがとうございました。
この場を借りまして、心より御礼申し上げます。
また、日野も公演リーダーとして、稽古中一度も弱音を吐くことなく大健闘いたしました。が、
いまだ若輩ゆえになにかとお見苦しい点も多々ございましたこと、
あらためてお詫び申し上げます。
日野本人にとりましては大収穫の公演であったこと、間違いありません。
またこのシリーズは続くと思います。小田島雄志先生からも観劇後エールをいただきました。
今後ともご支援の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
  
★★★★★★★
 
「目の前の人を大切に。」
これが今回の公演のコンセプトでした。
日々このことを考えながら日常生活を過ごし、稽古に励んだ約半年間。
本当に難しい、目の前の人をいつも大切にするのは。
意志とは裏腹に、瞬時に自己本位という名の悪魔が心を支配します。
 
また別の発見も。
目の前の人を大切にしている「つもり」でいることの、なんと多いことか。
優柔不断さを、相手への優しさだと勘違いしていることも。
その場しのぎの優しさは、単なる決断力のなさだったり。
 
悪い人じゃない、でもいい人でもない。つまりはバカということか。
そんな評価を自分に下す瞬間は、つまりは「目の前の人を大切に」する意志を持っていないとき。
 
行き当たりばったり、場当たり的に人生を過ごすことは、虚しい。
その場しのぎ的な生き方により軋轢を生まず平穏に過ごせたとしても、
それで「協調」や「共鳴」「共感」「感動」は、起こり得るのだろうか。
「協調」「共鳴」「共感」「感動」、それに「愛」が人生の大きな喜びの源だとしたら、
それらはすべて、目の前に人がいて初めて実現されるものだ。
生きがいとは、目の前の人と喜びを共にすることだとしたら、
それをする意志のない人は、結局、自尊心まで捨てている。
自分を大切にする人が、はじめて目の前の人も大切にできる。
その意志を持たない人は、自分や人をごまかす。いつもごまかすから中身ができない。
よって、それをまたごまかすために妙なプライドだけは高くなる。過剰な保身。熱演。
自分も人もごまかすことが人生の常套となると、もはや罪の意識も向上心もなくなる。
そして真実の追及を恐れるため、一見優しい人にも見える。
自分も人も、悲劇だ。
 
★★★★★★★
 
「目の前の人を大切に。」
これが教育の原点だと、強く思う。
そして、
なにがあっても「絶対にあきらめない心」を養い育むことこそが、
教育の使命だと思う。
 
今回の公演の意義と収穫は、僕にとってとても大きなものでした。
皆様に重ねて心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。