Duoの素晴らしさ。

 
 
一つのお芝居を創るとき、
その芝居のクオリティを決定づける要素に、
俳優の目標値のようなものが大きく影響する、ように思う。
その作品における出演意義のようなもの、か。
たとえば
新しい自分の発見を一番に目指しているのか、
それともあまり冒険をしないで手の内で処理し
できるだけ軋轢を生まないで、
演出の言うとおりにしておき、
穏便に次の仕事につなげたいと考えているのか、などなど。
 
メンバー全員が、自己との新しい出会いを本当に望んでいれば、
それはもう夢のようにクオリティが高い作品になっていくと思う。
クオリティはお金の問題じゃなく、やはり心の「新しさ」のことだから。
メンバーの意識がそこから離脱してしまうとき、
その時点で作品のクオリティが決定してしまう。
それは演出効果などでごまかせるものではない。
 
Duoは、そもそも離脱できない。
二人しかいない、自分が離脱すればそこですべてが終わりだから。
自分がいなくなると、相手が消滅する。
自分からは降りられない。
自分からはいなくなれない。
自分が消えるわけにはいかない。
自分で自分を殺せない。
 
自分がいるだけでいい。
自分が生きているだけでいい。
生きていよう。
そうすれば、目の前の人を大切にできる、
それだけで。
 
Duoには、つまり二人でいることには、限界がない。
いなくなれないということは、
二人でずっと理想を追える、夢を追える、夢がかなう。
そしてまた、二人の新しい夢が生まれる。
ずっと一緒にいられる。無限の目標値。
Duoの素晴らしさ。「新しさ」がどこまでも広がるDuo。
 
二人でいると、うまくいかないことも必ずある。
だけどそのことで、
二人のたくさんの大切な時間と素敵なものを、
全部すてることはない。
 
日野と藤田さんの稽古をみていて、
今日、そんなことを思った。
感謝。