教育の徒然 その3。


【子どもの免疫】
子どもにとっていいもの、そればかりを見せていてはまずいかもしれない。
ちょっといけないもの・悪いもの・危ないもの、子どもの免疫にとってそれらは必要だ。
少なくともそういったものが存在することを感じさせておくことだ。
ワクチン。
無菌状態の純粋培養は、かなり危険だ。
悪いもの・危険なものに、人は吸引される。
保護者の目がある子どものうちに少し慣れさせておく。
さもないと、大人になって強烈にそちら側に吸引されかねない。
小中高と女子校育ちのご令嬢が大学でいきなり恋愛開花、ということはよくある。
その程度ならまだましだが、大人になってさらに大きく間違う場合がある。
子どもの悪さ(いたずら)にも意味がある。
子ども時代の免疫は、善悪の判断・批判精神を養うものでもある。
 
【性根教育】
誤解を恐れず言えば、
性根が成長しなければ、教育には意味がない。
子どもが「慣れ」や「回数」でいろいろなことができるようになるだけでは足りないのでは?
ただし「慣れ」「回数」は、性根の成長を促すことは確かだ。重要だ。
が、それだけでは性根が育たない。
根性論ではない性根教育とは、なんだろう。
(根性論は決して嫌いではないが)(「根性」と「性根」、漢字がテレコなだけだ)
鍵となるのは言わずと知れたこと、教育者・指導者自身の人間的成長だ。
子どもへの教育とは、やはり大人の背中を見せるしかない。
 
【目の前の人を大切に】
目の前の人を大切にする。
つまり、相手をまっすぐにみる、ということだ。
そして、「今」を大切にするということだ。
その今は、未来につながっていく。
目の前にいてくれる人ほど、大切にすることを忘れてしまう。
親や先生といった目上の人など、そのいい例だ。
本当なら一番感謝したい人なのに。

【資質を見誤る原因】
子どもの資質を見極めて適確な指導をしたい、と思う。
が、これは無理なのか?
資質を見誤る一番大きな要因は、愛情だ。
愛ゆえに自分の期待や希望がのっかっていってしまう。
あるいは教育者が、自分の未熟さとのバランスを取るために過剰に熱を帯びるときがある。
そういうときも、見誤る。熱演だ。
そもそも教育は、
子どもの資質いかんに関係して行うものなのか。
英才教育ならそうだろう。
では、演劇教育・コミュニケーション教育においてはどうだ?
「生きること」に対する資質ってあるのか?
そこに優劣があるとは思えない。
 
【金言名句の量の問題】
指導者・教育者のアドバイスはいつも金言名句というわけにはいかないが、
(もちろん僕のも)
たとえ素晴らしい助言だとしても、
聞く側の子どもたちのキャパシティを超えては元も子もない。
訳の分からないものを聞かされることになる。
大人の押し付け、ひいては脅迫になりかねない。
分かって、伝わって、初めて言葉なのだ。
 
【手助けする場合、どこまで?】
手助けするために手を出すなら、どこまでどういった形がいいのか、いつも迷う。
これは相手が子どものときより大人のほうが難しい、と思う。
たとえば、アイデアやきっかけだけでなく、
相手がありがたいと思えるようになるまで具体的に継続的にやる。
それとも、あくまでさりげなくわからないように縁の下の力持ちに徹する。
後者のほうが難しい。難しいからより良策か。
また善意のつもりでアイデアだけたくさん渡すと、逆効果になる場合がある。
ぎりぎりで精いっぱいやっている相手に、
さらにアイデア実行のための実務(または訓練)を増やして
過剰なプレッシャーを与えることになりかねない。
相手は、一種の強迫観念に襲われる。創造とは遠い。
手助けには、こちらも苦労を共にする覚悟がいる。
ところが、この覚悟がない善意の人も確かにいる。
自分もそうなってはいないか、検証を忘れるな。
相手の自尊心を傷つけてはいないか。自己卑下に陥らせていないか。
 
【ストレートと変化球】
野球の投手が投げる直球(ストレート)と変化球。
野球のことは詳しくないが、
うまい変化球投手は、必ずいいストレートも投げるそうだ。
納得できる。
ストレート無くして変化球はあり得ない気がする。
ストレートに演じられないからと言って
変化球をすぐ投げたがる下手クソな役者はたくさんいる。
ドラマのストレート、160キロくらいのやつを投げたいものだ。
 
【子どもには、純度100%のものを与える】
冒頭の「子どもの免疫」と矛盾するように思われるかもしれないが、
これはまったく別の話。
大人の責任ことだ。
大人の「責任純度」とでも言えばいいか。
大人同士には、良くも悪くも妥協がある。
割り引いて、または補ってお互いをみる習慣がある。
そこに甘えの余地もある。
が、子どもの目には真実と事実、真意などがそのまま映りこむ。
子どもの自意識はこの場合関係ない。
子どもたちの目には、大人の姿がそのまま映っているのだ。
子どもに与えるものは、100%大人が保証するピュアなものを。
その責任が、大人にはあるのだ。
「大人が自信を持ってお勧め」の厳選品を。
  
【孤独感をいやす方法】
復活を果たしたT-BOLAN森友嵐士さんが言っていた。
「一人ぼっちで孤独だと感じるのは、目を閉じているからだ」と。
孤独にさいなまれている人の目をどう開けるか。開けてもらうか。
一人ではないが、甘やかしてもいけない。
子どもの目は、初めはどの子も開いている。
閉じる子がいるのは、明らかに大人のせいだ。
大人のどんな行動が、子どもの目を閉じさせるのか。
それが分かれば、開けさせる方法も見えてくるかもしれない。
 
【厳しさは、明るさと連動している】
相手がどう思うか(思っているか、思ったか)に、いつも注意する。
自分がどう感じたか(感じているか、感じるか)を意識では優先しない。
(自分のことは、無意識がいつも自動的にやっているから)
前者は、相手が「どう思うか」という未来形、
後者は、自分が「どう感じたか」の過去形が、先に来ている。
目の前の人を大切にする、ということは、
未来に向かうための「今」を大切にすることだ。
自分の過去を正当化することじゃない。
「目はどうして前についていると思う? 前向きに進んでいくためだよ。」(ドラえもん
前にさえ進んでいれば、いつか分かる。少なくとも分かる可能性は高まる。
前進の意志を強く持つ。
意志が弱くなる時の目印は? 暗いときだ。すぐ分かる。
厳しさというものは、明るさと連動している。
明るくしていようと決めれば、おのずと自分に厳しくなれる。
一つのコツだ。