教育の徒然 その2。


  
【言ったほうがいいかどうか迷ったときは、たいがいは言ったほうがいい】
そう考えるのは、少数派の意見か。
いずれにしても「時」が教えてくれる。
が、いま言うことで幸運にも意思の疎通ができた場合は、限りある人生の時短になってお得、
それに比べ言わずにイライラして「時」が教えてくれるまで待つほうが大変だしムダが多い、
と考えるのはこらえ性がない?
多数派は、
どうせ「時」が教えてくれるなら、何も今わざわざ言って軋轢を生む危険を冒すより、
このままスルーパスしておいたほうが無難(最良)と考える?
さて、どっちを選択する?
  
【金言名句こそタイミングが命】
いい言葉、シェイクスピア的にいうなら「金言名句」を語るとき、
語る内容を伝えることに集中しがちだが、
金言名句は、聞く人のタイミング(Q)こそが命だ。
Qを外して語るのであれば、忘れて言わずにいたほうがはるかにまし。
Qが適確であれば、その言葉は最大限の力を持つ。
言葉の意味よりも語る側のQのとらえ方が重要。
それはつまり、
相手を思いやる深い気持ちが絶妙のタイミングをつかみ、
語る言葉を金言名句にしていくということだ。
言葉は、伝わったとき初めて意味を持つ。
あたりまえか。
それにしても、伝わったときは気持ちがいい。よく眠れる。
  
【こだわるな、何事にも】
やったほうがいいと思えば思うほど、やれなくなる。
やるべきだと思えば思うほど、やれなくなる。
真面目な人ほどそう感じるのでは?
真面目かどうかは分からないが、案外政治家などもこの罠にはまっている気がする。
やることがたくさんあるときこそ、そう思わずやっていく。
時間がないときこそ、時間がないと思わないでやる。
考えても意味がないことにこだわるとき、大切なものが見えなくなる、やれなくなる。
とくに、怒りの感情には要注意だ。
怒りからは、本当に何も生まれない。
これにこだわると、まったく何も見えなくなる。
  
【ダンボ】
ダンボは、大きな耳に悩む。
悩んで泣いて図らずも酔っぱらった翌朝、なぜか木の上で目が覚める。
カラスたちにからかわれ起こされて、親友のネズミとともに驚き木から落ちる。
「飛んだんだ!」とネズミが言う、そして
「悩みの種が、実は幸運の鍵だったんだ!!」と。
悩みがあるということは、変わることができるということ。
  
【俳優の仕事】
物語を通して、自分の人生を真摯に考える。
その真摯さが伝播できたとき、嬉しい。
物語そのものを再現することに意識が行くとき、俳優は行き詰る。
新劇の養成所に通う若者にありがちな現象。かくいう僕もそうだった。
尊敬しているがゆえにだが、
先輩諸氏が過去に築き上げた偉大な劇世界の再現だけに、訓練の目的を置いていた。
が、物語そのものに意味などない。虚構の話だ。
ましてやその形式それ自体に、意味などあろうはずがない(極論だが)。
物語とは、つまりはお伽噺だ
お伽噺は、そこに真理を実感できたとき俳優のものになり、観客のものになる。
お伽噺は、いつも「今」の人のものだ。
お伽話の一番の主人公は、「今」を生きることが最も得意な子どもたちのものだ。
お伽噺と子どもたち、そこにこそ俳優の仕事の真髄がある気がする。
  
【しゃべりたくてたまらない】【聞いていられる】
とにかくしゃべりたくてたまらない、最近。
これって、死期が近い証拠? それとも単なる老化?
若いうちは、人の話をずいぶん聞いていられた。聞きたかった。
もちろん若さの未熟さゆえだが、
人の話を聞ける、ということは、まだまだ好奇心旺盛で長生きできるということかもしれない。
聞こう。