忘れる。極論のすすめ。


「少年の孤独」
★★★★★★★
 
忘れる。
大人になると、抱える事情によって、
あたりまえの大切なことを忘れる。
 
上記は、昨日のブログにも書いた。
なぜ大人になると、子どもの時にはあたりまえだった大切なことを忘れるのか。
そして子どもと本気で接するようになったとき、
そのあたりまえを逆に子どもから教わるようになるのか。
 
そもそもあたりまえの大切なことって、何だ。
 
命。
感謝の心。
 
この2つ、大切じゃないという人はまずいない。
いたら人じゃない。
にもかかわらず、この2つの大切さ、
一番忘れやすいのではないだろうか。
忘れやすい大切なこと、ベスト1と2。
ということは、人は普段、「人じゃない」ときが多いということになる。
まずい。
 
最重要事項の「命」と「感謝」。
忘れやすいのは、きっといちいち思い出すためだ。
いちいち思い出して、その大切さを実感するために違いない。
 
★★★★★★★
 
話は変わるが、
僕は、極論が大好きだ。
極論すると、ことの本質がわかりやすい。
 
たとえば、あることを、やったほうがいいかどうか迷った時、
やった場合とやらない場合の結果を極端に考えてみる。
そうすると大概、やったほうがいいという判断になることが多いが、
(人はほとんどの場合、「やったほうがいいこと」を迷うということだ)
やらないという結論を出した時でも、とても前向きな気持ちでいられる。
なんだか得した気分だ、やらない時でも。
 
そんなこんなで、いわゆる極論思考が好きなのだが、ときどき
「それはそうだけど、ちょっと極端だよ。」
なんて煙たがれることもある。
極論思考を人に強いてはいけないが、そう言ってくる人には
たまにこんなふうに問い返したくなる。
 
「じゃ、普通の考え方ってなんですか?」
 
「普通」がわからなくなるから、極論してみる。
「普通」とはつまり、大切な「あたりまえ」のこと。
普通に考えて「普通」がわかれば、越したことはない。
みんなが命を大切にし、感謝を忘れない社会になる。
子どもたちは、のびのびすくすく育つ。
でも普通、普通に考えるとあいまいになっていく。悪くなりがちだ。
 
極論して最悪の未来のことを考えてみよう。
いまのままの社会では、絶対にまずいことが分かる。
ではその真反対の極論、理想郷は?
そっちのほうが絶対にいいに決まってる。
いまからできることは、必ずあるはず。
それを微力ながら「普通」にやっていきたい。