舞台の上のたった一つの真実。

俳優の心に湧きあがる衝動こそが、舞台上での唯一の真実。
 
「ムダ話の会。」の常連、ASCの良き理解者“多呂さ”さんよりメールにて「ペリクリーズ」観劇のご感想をいただいた。とても暖かなご意見に心より感謝。全文をご紹介したいところだが、ご本人の了承を得ていないのでまた後日に。
お礼の返信文を作りながら考えたことをいくつか。
 
「覚悟」の問題。
他人様におみせする覚悟。
まな板の上の鯉、そんな覚悟。
 
ビールのコマーシャルだったか、「大人とは何か」という問いに「大人は覚悟」と答える中村勘三郎さんたち。共鳴する。
誰でも俳優は、観客に「よく見せたい」。下手な若いころは、この欲望が強烈だ。この欲に押し流されて、結果ムダな嫉妬や不必要な挫折感にさいなまれる。そして創造行為から離れていってしまう。「たとえごまかしてもよく見せたい」と考えがちなのだ。だって、まだ下手だから。
キャリアを重ねていくと、この「よく見せたい」願望の質が少しずつ変化していくように思う。ごまかしても必ず観客にはばれることがわかってくる。
 
存在感って何だ?
ごまかすと、そこには真実の自分はいなくなるわけだから、存在感は希薄になっていくことは自明の理。それがなかなかわからない。だませているのは自分だけ。いや、その自分さえも実はだませていないことも自身で知っていたりする。
 
「これがいまの自分の全部です!」という開き直りが、おそらく舞台の上での存在感につながってくる。これ、最近やっと僕もなんとなくわかってきた。いまの自分を「開き直る前に」どれだけ豊かにできるか、という勝負と覚悟。肝心なのは、舞台に上がる前までのこと。舞台に上がるまでに、与えられた時間にどれだけのことができるかという覚悟。本気でやっているかどうかという自分との勝負。
 
今の若者にとって、演劇は自己実現する貴重な場と糧であるかもしれない。
実人生で夢を持ちづらくなってしまった、あるいは、実人生での自分の存在がどこか曖昧模糊としている、そんな葛藤を僕ら世代よりも今の若者は日常的に大きく抱えてしまっているように感じる。他者との感動の共有こそが真の自己実現につながるということ、その手ごたえこそが最も力強いモチベーションとなるのだ。そのことを僕は今回の舞台を通じて共演者の若者たちに伝えたかった。と、いまさらながら思う今日この頃。
 
演じていて真に楽しいときは、そんなときだ。
そして真に楽しいときこそ、虚構でありすべて架空の、いわゆるウソだらけの舞台の上に、真実の輝きが宿る。その輝きこそが、その場で、その瞬間、観客と対峙している「いま」という一瞬に、俳優という特殊な人間の心の中に湧きあがる真の感情、衝動に他ならない。と当たり前のことだがやはり強く思う。
 
舞台はすべてフィクションだ。その中での唯一無二の真実こそが、俳優の感情だ。
誤解されがちだが、感情は込めたり作ったりするものではない。それでは、それもあらかじめ用意されたウソになってしまう。
感情とは、その場で生まれるものだ。実生活においては至極当たり前のこと。「いま」の真の衝動、“ニューフィクション”メソッドの目指すことだ。
 
“多呂さ“さんには、「ムダ話の会。」のみならず稽古場までご足労いただき、本当にみんなの励みになりました。心より感謝いたします。ありがとうございました。一緒にご観劇いただいた高校生のお嬢様にもこの場を借りてお礼を申し上げます。