息を止めたままだと気持ち悪い。

町を歩いていて時々出くわすことの中に、歩行者と歩行者、自転車と歩行者など見知らぬ人同士で互いに進行方向を邪魔しあってしまうことがある。一瞬顔を見合わせぶつからないようにすれ違うわけだが、そのときたとえ無言でも会釈などの挨拶をした場合と、まったくのスルーパスの場合と、自分の中で印象がまったく違うと最近思う。
なぜか。
たぶん呼吸。
挨拶がなければ、ぶつかりそうになったときの呼吸が持続する。つまり止めたまま。会釈でも挨拶をすることにより、息を吐き出すことができる。その行為は、当事者同士の共感を誘うもの。吐けば新鮮な空気を吸える。呼吸の共有。
息を止めたまま、吐き出せない。酸欠。気持ち悪い。身体が生命の危機に近づく。小さなパニック。苦しい。当たり前の生理。
 
挨拶は、呼吸の共有であり、息を合わせることだ。
息を合わせることは力を生む。感動につながる。
身体の生理とそれから起きる心の働き。
挨拶の重要性は、たぶんそんなところにある。