続:コア(核)とソウル(魂) “ニューフィクション”の効用4

「そこ、命がけの台詞!」 コア(核)とソウル(魂) “ニューフィクション”の効用3
http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/20081028/p1

“ニューフィクション”、前回の続き。コア(核)とソウル(魂)について。
レッスン中最近僕はよく「ゴーオンジャー」を例えに出してしまう。日曜日朝のTV番組、テレビ朝日スーパーヒーロータイム”のなかの「ゴーオンジャー」だ。
詳しくはこちら。http://www.toei.co.jp/tv/goonger/
ちなみに、知る人ぞ知る及川奈央がケガレシアという悪役で出ていたりする。日曜朝からちょいとセクシー。 
 
そのヒーローたちの最強の味方に、『炎神ソウル』なるものがある。手のひらサイズの四角いその魂を彼らの武器にセットすると、とてつもないエネルギーとなって敵を倒す。
 
作品のコアを見つけ、役のソウルを取り出す。それをライバー(俳優のこと。僕の造語。ライブをやる人のこと。そのままじゃ。)にセットオン。相手役と観客にぶっ放す(相手役と観客は敵じゃないけど)。
ま、“ニューフィクション”を戦隊ヒーロー的にいうとそんなことです。
 
で、役のソウル(魂)というのは、
役のコア(動機)により突き動かされている俳優の個人的な心の衝動を、瞬時に連続して自ら意識的にわしづかみにし(あくまで自分個人の衝動を)、それを相手役&観客にぶん投げたとき、相手役と観客の心のなか(コア)に初めて生まれるもの。
そう、役のソウルとは、演じている俳優の中にではなく、他者のコアの中に生まれ出るものなのだ。
 
つまり俳優の仕事というのは、世界でただひとつの、スペシャルワンの己の感性、そこから絶え間なく生まれ続ける自分自身の衝動をいちいち意識的につかみ出し、相手役と観客にぶん投げるだけ。役づくりというのは、単にそれだけ。
衝動をつかみ、投げる、その『意志』のみが俳優の証だと思う。
 
意志によるその行為の連続を無意識にできるようになったとき、俳優として役を演じている自分の感性を、初めて『ほっとく』ことができるのだと思う。