すべてが最初からOK! “ニューフィクション”の効用5

“ニューフィクション”メソッド
あらゆる可能性を秘めた自分の人生において、
過去を応用し、今を見つめ、未来を創造して、自分だけの新しい物語を
次々に紡ぎだしていく。
それが“ニューフィクション”という名の由来です。
フィクションである限り、ストーリーは自分の意志次第です。

  
「はじめからぜんぶOKです!」
 
これ、“ニューフィクション”の一番大切にしたい基本の心得。
人と新しい関係をはじめたいとき、あるいは俳優として役づくりの最初のころ、この心得をとても意識しちゃうなぁ、最近。
 
過去は応用するもので縛られたり自己正当化の材料にするものじゃない、つまりは過去は単なるストーリーでありフィクションだ、としてとらえる。「事実だ!」なんて思い込んじゃうから、縛られちゃう。まあ事実は事実なんだけど、だからといってそれで現在が決まっちゃうなんて思い込むほうがおかしい、ましてや未来を悲観するのもナンセンス。
 
「すべては、最初からOKなのだ!」
 
とにかくいろいろなことやものや人や自分との【新しい関係】をはじめようとしたとき、過去を分析してそこから糸口を見つけるなんて遠回りなことをしないほうがいい。
現在あるそのものでOKなのだ。
その態度から過去をみるのであれば、過去は現在の【新しい関係】をより豊かにしてくれる大きなヒントの泉となる。
 
人との付き合いにしろ、俳優として役を見つめるときにしろ、自分にとって好ましい、あるいは共感できる要素を見出せたときにしか他者を受け入れることができないなんてあまりにも懐が狭い、ってみんなで感じよう。(ほっとくと共感できないとき結構排斥しちゃう傾向あり、僕)
 
“ニューフィクション”メソッドが目指す「新しい関係の構築とその連続」を可能にするのは、「ざっつ・おーる・らいと・NOW」だ。
 
ゴリラ研究の大家、京大の山極壽一先生曰く、「人間の定義、それは他者のなかに自分を見たがる動物である。」と。
他者とは人に限らず、物や事象も含まれるそうだ。で、自己と他者との境界をなくそうとする行為が他の類人猿にはない人間独特の心理であり、共感はそこから初めて生まれる。
 
うん、納得。
人間の定義がそうならば、己の鏡となってくれる他者を最初から全面的に肯定しようではないか。ましてや俳優、目の前のその役は自分が命をかけて演じるんだからさ。
 
(ちなみに人間は、農耕をはじめたせいで土地という境界意識をあらためて持たざるを得なくなり、それが戦争につながっているそうだ。共感あるのに強烈な境界意識。う〜ん、ジレンマ。ジレンマはドラマの源泉。)