“ニューフィクション”の効用 その2 【責任と意志】

肉離れした左足、まだちょっとだけびっこになっちゃいますが、
2週間がたってだいぶよくなりました。
ご心配をおかけしました。 
2週間不自由したおかげで、いろんな発見があって楽しかった。
 
また、原点回帰が目的のマラソントレー二ングがここのところできなかったので、
その代わり、家族5人で3日間ほど鳥取にかえってきた。
こどもたちにとっては、もちろん初の鳥取
僕にとっては、仕事で米子に1ヶ月ほど滞在した一昨年「不届千萬忠臣蔵」
以来の帰省。が、その関係者には誰にも会えず。
(ちなみに一昨年は、米子のみで鳥取には帰らなかった。僕は、米子市生まれの鳥取市育ち。)
 
思いっきり原点回帰でリフレッシュ、
といきたかったが、思いのほかそうはいかず。
反対に過去に思いっきり引っ張られ少々苦しくもあった。
長男ひさかたぶりの帰省、
実家の家族との新しい関係の構築は、そう簡単ではなかった。
 
 
責任。 
 
新しい関係を望むこと、それは自分に新たな責任が生じること。
 
過去の事実に従って自己を正当化しているうちは、今と未来に責任をとる気はない。
(今の政治家がその状態だ。問題が起こっても「私は悪くない。私に責任はない」と公的発言。幼稚。)
他者と新たな関係を取り結ぶことを決めたとき、自分に責任が生じる。
だから、いい。
ドキドキするから。
そのドキドキが、物事の、人の、本当の魅力を引き出してくれる。
舞台の上と同じだ。
 
過去がどうあれ、その相手と新たな関係を取り結ぼうとしたとき、
初めていろいろな可能性が生まれてくる。
だから、楽しい。
 
意志の力。
 
新たな関係を取り結ぼうとするこの意志こそ、
ともに未来に向かおうとするこの意志の力こそ、
人生において、もっとも大切な心得。
 
新たな関係を取り結び続けること、それだけを考える。
あとは、ほっとく。
そうすれば、必要なことは見えてくる。