日野が凡ミス、大西開眼?

芝居って、ほんとに不思議。
先週のレッスンであれだけの成果を見せた日野が、
今週のレッスンではまったくダメ。
もちろん別のエクササイズではあったけど、こんなにギャップが?
まるで別人じゃ。
 
思うに、その原因は油断。そして、驕り。
最高の喜びの瞬間に魔は忍び寄るというが、絵に描いた様だった。
先週彼女のもっとも素敵な部分が、そして今週は彼女の最大のウィークポイントが、
そのまま現れた。
 
そうかと思えば、低迷していた大西が開眼か?
大西には、先週に続き自画像のエクササイズに挑戦してもらった。
話し合いを十分にして、さらに新たな課題を加えながらの創造。
 
大西という人物のもっとも赤裸々な本質が鮮明に現れた。
それはきっと本人にとっては好ましくない部類のものだったと思う。
自画像のレッスンを始めてから、その点に関し受け入れることをかたくなに拒否して大西だったが、
今週目の前に敢然と立ち現れた自分の本質からは、さすがに逃れられなかったみたい。
 
レッスン後、夜メールをくれた。
「すっきりしました」とあった。
これまで受け入れることができずにいた自分の本質的な姿を、初めて認識できたとのこと。
そのうえで、「さらに成長していきたい」とあった。
よかった!
 
日野と大西、
大きな収穫のあった合宿後、通常のレッスンに戻ったこの9月、
レッスンの度ごとにいろいろな一面をみせてくれる。
面白い。
“ニューフィクション”メソッドの考え方の効用がここにもあるような気がしてならない。
この考え方の根幹は、
 
常に新しい関係を構築し転換し続ける
 
というあたりまえのことにほかならない。
「われわれは、そのために人生を歩んでいる」とは寺山修司氏の言葉。
深い。