合宿感想メールその7 大西伸子より 〜“あやのぎ塾”塾生〜

大西伸子とは、6年ほど前に出会った。
パフォーミング・アート・センター(野沢那智代表)で僕が講師をしているときの教え子。
そこで1年間指導した。
その3年ほどのち、ASC演劇研究センターに入所。
ASCでの僕との付き合いは、いま3年目になる。
  
ちなみに彼女は、“あやのぎ塾”のレッスン料を向こう3年分全額前払いした。
ということは、まだまだ大西との関係は続いていくのだ・・・
  
いや大西、誤解しないで、それがイヤじゃないんだよ。
嬉しいと思ってるんだ。ホント、本当に。
  
冗談はさておき、
この記事より興味深い変化がメールに生じてきた。ちょっと面白い。
これまでのメールは、すべて私信でブログにアップする予定はなかったもの。
がここからは、ブログアップが決まってからのもの。
  
思ったことをそのまま書きづらくなってきたのだ。
 
   
【大西伸子より 2008.8.22 18:23】
 
まずは、合宿でいろいろとお世話になってありがとうござました。
何日かたっての発見や感想ということですが・・・
一度メールを書いても送らずに消してしまったりと、なかなか難航しています。
何を書いても本当のような、嘘のような、
また、どれほど言葉を重ねても書き足りないようなそんな不思議な感じです。
キーボードだと打てるんじゃないかしら、と期待をこめて書いているのですが、
どうなることでしょうか。
  
合宿に参加して、何よりも、私にとって収穫だったのは、
初めて芝居を学んだときからおそらくずっと言われ続けてきたこと、
たとえば芝居のときは
「相手をちゃんと見る」、「会話をする」、「役をしっかりイメージする」など、
ものすごく初歩的なこと、それでも何年経っても全くできなかったことが、
本当は自分でもできるんだ、と分かったことは大きな自信につながりました。
「訛らない」なども・・・
ほんの少しでも、自信を持つと世界が変わります。
今まで持っていた暗い劣等感が、大分軽減されたように思います。
なんでもやってやろうと希望にあふれています。
  
合宿では、本当にドラマチックなできごとばかりで、
映画やドラマでなければこんなことはないよ、と思っていた感動が次々と起こり、
本当に素晴らしかったです。
それは、人に深く関わろうとしたからこそ、起こったものだと思います。
  
今、日常生活に帰り、今まで以上に人のことをちゃんと見ようと思うのですが、
人は大抵、無表情で何を考えているのか分かりません。
いくら、眼鏡をかけて、視力を上げてもやはり何も見えないのです。
結局、自分も含めてなるべく人と関わらないようにしようと、
考えながら過ごしているのが今の日常なのかもしれません。
  
それにしても、日常は忙しくせわしないです。
忙しいというのは、遊ぶことや、テレビを見ることなども含めてです。
次から次へとやること、やりたいことがたくさんあり、
合宿で考えたことをあっという間に吹き飛ばし、蹴散らかしていきそうな勢いです。
合宿での時間は本当に贅沢な時間だったんだなとあらためて思います。
  
合宿でのことを、今後の芝居や生活に役立てたいのですが・・・
合宿から帰ってきたら別人のようになっていて、
日常もドラマチックに大きく変化した、なんていうことはもちろんなく、
意識して忘れないようにしようとしなければ、と考えています。
   
今のところはこんな感じですが、また書きたいことがあるかもしれません。
    
(前半はそうでもなかったが、このメールの後半はなんだかネガティブ。
 それが気になって、次の僕の返信につながった。ただしそれは、
 どうしてもブログアップを意識してしまったものになったような気がする)
(それになにより、せっかくの合宿での収穫が日常という現実によって
 台なしにされかけているのではという心配が大きかった)

 
   
【僕からの返信 2008.8.22 21:36】
  
メール、ありがとう。
合宿の感想、
『なにを書いても本当のような、嘘のような、書き足りない感じ・・・』  
僕もまったく同感だ。
それくらい得るものが大きかったね。

君が自分でもいっているように、
君の大変化は、今回の最大の発見の一つ。
本当にびっくりした。
「君のいまの演技、僕はどう転んでも一生出来ない」といったのはまったくの本心。
君も別のときに、「悔しかったら真似してみてください」なんて冗談を言って笑っていた(笑)。
演技の上で、
これまでみたこともない大西伸子の素顔をみることができたことは、
大収穫だった。
人の素直な顔は、やっぱり綺麗だ。
 
また、ずっと直らなかった君の京都訛りの大改善。
あれにもアゼンとした。
突然だったモンね。
俳優はイメージが大切とは分かっていたけど、それをしっかりと自分のものにしたとき、
何年も直らなかった訛りまでほぼまったく改善されるとは思いもよらなかった。
単に、聞き取る耳の機能の悪いことが原因ではないことが証明された。
すべては俳優の「意志」の問題だということを、大西が身をもって証明してくれた。
 
それに、指導にあたった僕にとっては、
「人の長所を見つける行為は、実にクリエイティブな作業だ」という
プロフェッショナル(NHKの番組)の茂木さん(脳科学者の茂木健一郎)の言葉の、
実践と実感ができたことは貴重な財産となったよ。
それがクリエイティブであるということを実感できたのは、
君も含め参加者全員がびっくりするくらい変わってくれたからだ。
ありがとう。
 
合宿は、劇的なるものの連続だった、これも同感。
参加者全員が、全力で他者に関わったその成果だね。
あまりにも必然的に偶然が重なって、
それこそ芝居の予定調和かと思ったよ、僕も。
 
合宿で得た貴重な経験と財産、それを日常でどう生かすか。
難しい。
ただ諦めるなよ。
僕ら俳優の仕事は、合宿で得たようなことを広く伝えていく作業にある。
その作業の過程にこそ、俳優の使命の本質があると僕は思うよ。
 
古田さん(合宿参加者・初対面)の機能としての聴覚障害は、
「聴く」という強い「意志」により、
機能的にはなんら問題ない人に比べはるかにいい耳となっている。
その事実は、すごい。
 
人は無表情ではない、という前提でもう少し考えてみたらどうだ。
合宿ではそんな視点で君も人をみていたように思う。
だから発見できたことがたくさんあったはず。
 
合宿を海外旅行などの気分転換のように扱うのは、実にもったいないぜ。
それに海外旅行の気分転換で、人が別人のように変わるわけはないし。
ま、結構みんなそんなことを期待しちゃうけど。
 
合宿でのことを今後の生活や芝居に役立てたいと本当に思っているなら、
具体的に合宿のときのように深く思考することだよ。
忘れないようにしよう、というような現状維持的だとどんどん忘れるよ。
停滞や固定は、無意味。
過去はフィクション、大切なのは「いま」だよ。
 
みんなで実感したこと、
関係は、新しく転換し続けるためにこそ意味を持つ。
そのために人は生きてるって、寺山さん(寺山修司)も言ってるってば。
 
得たものは大きいけど、大きな自信につながったのも確かだけど、
日常ではあまり役に立たない。
大西の合宿の感想は、要約するとそんな印象になってるぜ。
もったいないよ。
 
本当の意味で「みる」こと、本当の意味で「聴く」こと、本当の意味で「話し、伝える」こと。
芝居に不可欠なこれらの要素、君は全部できたんだよ。
 
「意志」だよ、大切なことは。
  
(僕の文面が理屈っぽくなっている。明らかにブログ用文章を意識して、
 結果その脅迫に負けている。言葉数が多いのに、説得力が弱いなぁ。)