合宿感想メールその6 高尾枝理より 〜2006鳥取「不届千萬忠臣蔵」共演者〜

【メール その5】のあとの高尾枝理からの返信。
 
それに対する僕の返信の内容は、かなり寺山修司さんの影響があるなぁ。
最近、機会あって彼の文章を読んだ。
いま僕が感じていることを、寺山修司は30年も前に発言していた。
驚きと喜び。
最も驚いた彼の言葉、
 
「僕らはアバンギャルドではない」
 
僕は寺山修司という人を前衛の最先端だと思っていた。
が、そうではなかった。僕の理解不足。
彼の思考は、至極まっとうなものだったことがいまさらながら嬉しい。
 
 
【高尾枝理からの返信 2008.8.22 0:09】
  
誰かが変化を角度に例えたコトを言ってたんですが、例えば1日1度の変化があったとする。
だケド、その時はその変化が小さくて気付かないコトが多い。
でも、180日経った時、その変化は180度になり、180日前のそれとは全く違ったものになる。
 
う〜ん。
自分が気付かなぃうちに変わってたんですネ
 
今ある関係を新しい関係にするためには、やっぱりちゃんと思ってるコトを伝えたり、
そぅゆぅとこから始まるんですかネ??
 
合宿、楽しそぅ!
人間、ホントにハマると寝食忘れますよネ
だケド、すっごく楽しい♪♪
私が高校生だった時がまさにそぅでした。
 
件名は、特に主義があるわけでもなく、単につけてなぃだけです。
ケータイだと思わなぃですが、パソコンだとわかりにくいですか??
今回つけましたが***
 
そぅいえば、東京でお猿さんが!
私、ほぼ毎日のよぅに見てまぁ〜す(笑)
この間は猪を見ました
どんだけ田舎だ…
 
 
【僕からの返信 同日 11:36】
 

誰かが変化を角度に例えたコトを言ってたんですが、例えば1日1度の変化があったとする。・・・・・

 
角度にたとえるのも分かりやすいね。
視点の問題になるから。
視点はたくさん持ったほうがいい。
 
僕のいう「変化」は、「進歩」に近い。
もちろんそれには視点も含まれてる。
 
視点は、言葉を変えれば、ものさしとも言える。
たくさんの尺度を持つっていうことかな。
たくさん尺度を持つと、次の疑問は「尺度ってなに?」となるよ。
そうすると、尺度も過去もよく分からなくなり、フィクションとなり、
自分がいま在ることの「意味」について思考する感覚が鋭くなる。
それがつまり「進歩」という変化。
新しい関係への転換の連続こそが面白い。
 

う〜ん。自分が気付かなぃうちに変わってたんですネ

 
そのとおり!
さらに小さな変化にも自分が気づきながら変わっていくと、もっと面白くなるよ。
変化と発見の同時進行。
 

今ある関係を新しい関係にするためには、やっぱりちゃんと思ってるコトを伝えたり、
そぅゆぅとこから始まるんですかネ??

 
それ、とっても必要なことだね!
またそれは方法や手段でしかない、ともいえる。
なぜその方法を選んだか、それをはっきりさせていくことがもっと大切。
 

合宿、楽しそぅ!
人間、ホントにハマると寝食忘れますよネ ・・・・

 
そうだね、
人はあることに「ハマル」ととても喜びを感じる。
ただ、人は「飽きる」。
たぶん僕たちの合宿での状態は、「ハマッテイタ」んじゃないと思う。
さっき言った「人がいま在ることの意味」をずっと思考していた。
だから飽きなかった。
物には飽きるけど、人には飽きない。
 

件名は、特に主義があるわけでもなく、単につけてなぃだけです。
ケータイだと思わなぃですが、パソコンだとわかりにくいですか??
今回つけましたが***

 
今回もついてないよ、件名(笑)。
件名って、単に用件を表す場合もあるけど、そのほかの意味として、
ちょっと大げさだけど、自分が伝えたいことの象徴された言葉、という認識が僕にはあるんだ。
ただし、象徴化する行為は、ときに言葉を最大公約数的なあいまいで単純なものにする危険もある。
その場合は、象徴化じゃなくて、機能化と言えるのかな。
 
ちなみに僕がメールを打つとき、
件名をわりと先に打つかな。
で、本文をつくって、本文を読み返して、件名を変更することも多々ある。
内容と件名があっていないということだけど、
実は伝えたいことに対しての、自分の認識の変化と発見とも言える。
本文をつくっているうちに、本当に自分が伝えたいことが分かったということだね。
 
件名のもうひとつの側面は、宣言。
このことについて伝えたい、というはっきりとした意思表示を先にやってしまうということ。
簡単に言うと、有言実行。
宣言したら、最大の努力で伝えなくちゃならなくなるからね。
 
メールでも実際でも君がよく使う口癖「〜〜ですかネ??」、
正直言うと、これは僕はあまり感心しないよ。
自分が一番聞いてみたいことを言うときに、君はこの語尾をよく使う。
一番聞いてみたいことは、君にとって一番大切なことのはず。
なのに、この語尾を使うことでなんとなくあいまいにしてる。
自分が一番大切で聞いてみたいことが、他人にとってはくだらないことかもしれない、
そんな不安が君の中にあるんじゃないかな。
どう?
少なくとも自信がないことに対して尋ねるときに、この口癖が出てきてない?
 
件名なしも口癖も、そんなところに本当の理由があったりするかもしれないよ。
僕は断定しているわけじゃなよ、推測しているだけ。ごめん、ちょっと失礼だ。
その可能性があるかも、そんなふうに思考してみるのも悪くないんじゃない?
 
件名なんか、ま、大きな問題じゃないけど、
日常生活で、人がなぜそんなことを言っているのか、
その人が無意識で発言している場合でも、
その発言の内容を深く思考してみると、
意外にも大きなドラマが隠れていたりするよ。
そのことこそ、真の「劇的なるもの」であって、
作家の書くフィクションなど足もとにも及ばないものかもしれないと、
最近とくに思うんだ。
 

そぅいえば、東京でお猿さんが!
私、ほぼ毎日のよぅに見てまぁ〜す(笑) ・・・・

 
ということは、東京でドラマになる衝撃的な出来事が、田舎では日常。
もうそれだけで、「劇的」。