芝居とは、本当に摩訶不思議。子供のころに教わること。

ご挨拶が大変遅くなってしまいました。
ASC第37回公演/“シェイクスピアではない作品シリーズ”第1弾
「恭しき娼婦」、先日13日無事千秋楽を迎えることができました。
皆様、本当にありがとうございました。 
 
芝居とは、本当に摩訶不思議なもの。
楽日の3回公演、まるで出来が違っていました。
 
12:00の回、まずまずの出来。
テンポ感やリズムは、最高だった昨日12日のソワレのほうがよかったが、
日野やコウシは演技をきちんとコントロールしようとしていた。
 
15:30の回、最悪だった昨日のマチネにもましてよくない。
力ずくもいいところ。特にフレッドのコウシが。
昨日マチネでは日野がそうなっていたが、今日はお前か!
 
毎回終演後には必ずミーティングをするが、
この回の後も最悪だったことをきちんと告げた。
そして、必要なことも僕なりに伝えたつもり。
 
19:00の回、フレッド最高だった。
リッジーは昨日夜のほうがよかったようにも思えたが、
フレッドとのコンビネーションということで言えば、今夜が最高!
実にいい千秋楽を迎えることができたように思う。
 
尊厳。
 
子供のころ当たり前に大人から教えられてきたこと、
それらすべては、人の尊厳。
「正直に」「素直に」「人に優しく」「思いやりをもって」・・・
そのことを僕らは、大人になってどれだけ実践できているのか。
大体そう子供に教えた大人が、そのときどれだけ実践できていたのか。
僕自身いま子供にそう教えているが、実態はま逆なのではないだろうか。
 
リッジーは、かたくなに素直であろうとする。
それは、自分に対してというより、他者の尊厳に対してだ。
子供のころ愛する人から教わったこと、
そのことを自己の全存在をかけて守ろうとする。
健気で、強い。
 
演出内容を言葉で説明するようで恥ずかしいが、
今回のチラシに新生児の裸を使ったのも、
プロローグではまるで胎児のようにリッジーが裸で身を丸めて
激しく嗚咽しているシーンから始めたのも、
「子供のころ教わること」というイメージが僕に強烈にあるためだ。
エピローグで、全裸でフレッドにつかみかかるリッジーも、
僕の中ではその延長線上にある。
う〜ん、やっぱり言葉ではうまくいえない。
 
誇り高き、人生。 尊厳。
そして、その最大の敵である社会そのものが抱えもつ矛盾。
  
これらのことにどこまで僕らは向き合えたのか?!
全力でやったつもりではあるが、確実な手ごたえなどない。
だからまた、次回作を創る。
 
本当にありがとうございました!!
次回もぜひ、ご期待ください!!!