新体制スタート! ちょい、待て? 【新生ASC白書 その2 展開の巻】

前回ASCの約12年の歴史を簡単に回想したが、
では今回は、今後の展開を考えてみたい。
問題は、劇団という体制を維持するか否か?!
維持するとしたら、どのような方向性か?
解散するとしたら、ただ単に文字通りバラバラになればいいのか?
 
後者から考察。
解散=単なるバラバラは、やはりできない。
「もうこれで終わりです」では、すまない。
何より僕の気がすまない。
 
では前者、劇団として存続していく場合に、その方向性は?!
 
これが実は、一番難しい問題。
難しいから、この道を行こうとも思う。
 
これまで、ずっと「劇団」ということにこだわり続けてきた。
僕の中での「劇団」の定義とは、
?定期公演を打つこと。
?その定期公演において、社会的コンセプトを必ず明確にしていくこと。
?組織としても尋常に社会的な使命を持つこと。あるいは、持とうとすること。

この考えは今でも変わらない。
ではこれまでどおりの体制でいいのか? 否。
よくないから、「タイタス・アンドロニカス」で内部的な問題が多発した。
12年間の垢。
 
一番の問題は何か?
 
「ASCとして出していく作品に、その水準に、妥協は許されない。」
という僕の思いが強すぎた。結果、僕の暴走となりかねない事柄が起こってしまった。
猛省。
ただし、その水準を下げることは、今後も許されていいはずはない。
では、どうするか?
 
解決の糸口を考察。
 
劇団という形態が抱える先入観、
つまり終身的、同じ釜のメシ的、運命共同体的、
ずっと一緒だぜオレタチハ的な思い込みが
代表者にとってもメンバーにとってもいけないのでは。
双方に、甘えが出てくる。
これ、いいときはいいけど、意思の疎通にトラブルあるときは、ちょっときつい。
 
ちょっとそれるが、
思うに、グローブ座カンパニーは、よかった。
契約形態は、通常のプロデュース公演と変わりなく1上演ごとの出演契約だが、
そのメンバーが8割がた固定していた。
つまり、いつもほぼ同じメンバー。劇団のよう。
だから、意思の疎通は非常にしやすかった。
でもって、あくまでプロデュース公演でもあるので、
継続的集団のウエットなしがらみや甘えなどはなかった。
全員パフォーマーとして、創作に厳しい集団だった。
両方の形態のいいとこ取り。
 
日本ではまれなこんな形態が何年も続いたのは、
ひとつにはグローブ座が、当初は劇場付のカンパニーを本気で持とうとしていたから。
確か聞いた話では、年度ごとの契約更新制で、
劇場が俳優を抱えカンパニーを組織し、レパートリー公演を打つ。
年度ごとの契約制というシステムこそ実現しなかったが、
そのほかはいい形となって、面白い上演が続いたように思う。
 
よし、これだ。これでいこう。
年度ごとの更新制で、メンバーを募ろう。
グローブ座が理想としたような大規模な形では到底無理だが、
ASCは、RSCなどのブリティッシュスタイルで、
わかりやすく言うとプロ野球スタイルで、これからはいこう!
と、実は本気で思っている。
 
でもそのことは、僕一人の独断ではいけないので、
菊地一浩や鈴木麻矢、簡憲幸さんなど旗揚げからの関係者諸氏ともよく相談し、
きちんと了解と協力を得なければいけないし、
今後の「年度更新システム」に関しても、諸先輩方から叡智をお借りし、
さらにASCのこれまでの教訓をきちんと整理し、
それをも生かしていかねばならない。
 
なので、新体制をいきなり実施するのは時期尚早と判断。
というわけで、ASCは、理想に向かい準備期間に入ります。
 
といっても、よくいうところの【充電期間】などではありません。
世間のいわゆるそれの多くは、実は劇団解散。
どこがちがうかというと、
少なくとも年2回から3回の定期公演はやるからです。
もちろん、この春にもやります。
動きながら考えるのが、ASCのモットー。
 
つまり見かけは、これまでとまったく変わりません。
でも、中身は今大きく変換しつつあります。
 
というような事情で、肝心の定期公演の告知が大きく遅れてしまいました。
では次回の記事は、次回公演について。
告知どおり、シェイクスピア作品ではありません。
ASCでは初めてのことです。
いずれにしろ、
 
「ASCとして出していく作品に、今までもこれからも、
彩乃木崇之が思う水準を出していきたい」
 
と僭越ながら強く思っています。