飽きるということ。

アンダンテの稽古、どうやら四苦八苦しているようだ。
今回は若手自主公演なので、僕は全くのノータッチ。
タッチしたいのは山々なんだけど、ぐっとこらえてます。
そのほうが、彼らが成長するからだというのは言うまでもありゃーせん。
 
それでもやっぱり気になって、何人かに電話で様子を聞いた。
そのシーンを成立させること、これが稽古の中心になっているとのこと。
で僕が質問。「稽古場、楽しい?」
 
場面の成立に一番の重きがいく、これ当然のこと。
「おかしくないかな、このシーン?」
お客さんにとって不自然なことが、僕らは一番怖い。
 
でもですね、そればかり考えてしまうと、結局月並みなアイデアに収まってしまう。
結果、成立はしてるけど、面白くない。
落とし穴が、ここにある。
 
最大公約数的な考え方で、場面を成立させてしまう。
ということは、お客さんも予想できる範囲内のもの。
観客のイメージを超えてない。
第一観客の方が、実は往々にしてイメージが豊かなのだ、下手な役者よりはるかに。
だって、人生を実践してるもの。
 
俳優は、初心のうちはだれでも当たり障りのない発想をしがちかも。
というより、どうしても説明的になる。
説明的は、一見シーンを成立させる。
怖いのは、俳優の中であまり違和感がないことだ、そんなシーンでも。
だって、自分の中では成立してるからとりあえず安心感があるのだ。
その安心感をよりどころにして、舞台に立ていられる気がする。
観客は、至極退屈。
観客の心を捉える演技にとって必要なのは、その先からなのだ。
 
「これで、果たして面白いの?」
そう、大切なのは、「面白く」成立しているかだ。 
その発想を常に持つこと、この心構えが最も重要。 
で、この発想がいつも自分の中で起動するためにはどうするか? 
 
飽きること。
 
自分のやっていることに、飽きることだ。
これが実は一番近道。
ではそのためには、どうすればいいか?
 
できるだけ、回数をやること。
これに尽きる。 
 
回数やれば、だれでも飽きてくる。
はじめは面白いと思ったものでも、やっぱり飽きてくる。
別のアイデアを試したくなる、それが例えまちがっている方向性のものでも。
まちがっていれば、なおさらすぐ飽きる。
そしてまた別のアイデアを試す、全くトンチンカンなものでも。
トンチンカンだから、やっぱりすぐ飽きる。
で、また次のアイデア
それを繰り返すと、結局最初に面白いと思ったアイデアに戻る場合もある。
でもですね、その最初のアイデアは、その時点でもう最初のものではないのですわ。
紆余曲折を経ると、パワーアップしているもの。
つまり、「スーパー最初のアイデア」となっているのです。
 
芸事は、回数の数字で決まる。
技術の習得は、回数をこなすこととイコール。
不器用な人間でも、器用な人でも、
その人に見合った回数を越えなければ、技術習得は不可能。
回数の数字を、他人と比べても仕方ない。
自分にとって必要な回数をこなす。
 
面白いシーンを創り上げるのも同じこと。
自分にとって必要な回数をこなす。
回数が、命。
いろいろなアイデアが出ない場合は、一つのアイデアで回数をこなせばいい。
そうすれば絶対に飽きるから、必然的に次のアイデアが出てきます。
 
名優も大根役者も、一日は平等に24時間。
名優とは、その24時間に回数をこなすことができる人のことを言うのかもしれない。
 
回数は、アイデアを生み出し技術を習得させてくれる。
そしてなにより、俳優の感性を育ててくれるのだ。