父娘と母娘

親が子供のために動くとき、いつも迷うことに次の2点がある。
 
「子供の意思を尊重して」
「子供にとっていいことは何か」
 
この2点の選択は、子供の年齢や状況によって変わるものだと思うが、
子供に何らかの引け目を感じてる親は、往々にして前者ばかりを選択しているように思う。
親個人のコンプレックスが、子供の意思尊重という大義名分によってごまかされている。
結果、親としては無責任である。
(事実、トラブルが起こった場合、子の話すことのみ事実と受け取り、客観的な事実検証を行う努力を怠る)
 
そして子供は、それらのことを敏感に感じ取っている。
が、そんな親を拒否はできない。
結果、時には親を馬鹿にし憎みながらも、時には親の大義名分を隠れ蓑にし親に逃げ込む。
子供は親に対して、分裂した感情をいつも抱えている。
  
依存と逆依存。
 
DV亭主と、いくら殴られ蹴られようとその夫と別れることのできない妻。
しかし、依存と逆依存は夫婦だけの問題ではない。
もしかすると、親子関係でのほうが根が深いのかもしれない。
 
依存と逆依存の関係に陥っている親子、
父娘の場合は、母娘の場合よりまだ関係改善の可能性が高いのでは?
娘はいずれ他の男の元に行く。
心理学的には、娘にとってのセックスは父親抹消の行為だと聞いたことがある。
演劇的には、その手の物語はたくさんある。
が、母娘の場合。
「母親が善意の顔をして、蛇のように娘の首を絞める」という言葉を聞いた。
 
どんな事情があろうとも、
またそうなるに至った原因や要因は相手にあったとしても、
絶対にやってはいけないことがある。
やってはいけないことをやってしまっては、その要因を作った相手に対して
責任追及する権利をも放棄することになる。
自尊心の放棄、自らの存在の放棄。
残るは、被害者意識と自己嫌悪のみ。
前に進めない。
  
絶対にやってはいけないことは、やらない。
将来どんな仕事に子供が就こうが、その信念がプロ意識につながる。
プロ意識とは、自然に身についていくものではなく、意識的にもつもの。
それをもつきっかけを、心構えを、親は子供に教えてやれるのではないか。
 
要は、真実愛してやること。
それがその子の自尊心につながっていく。
(大切な子供を親の言い訳の犠牲にしてはいけない)
自尊心の弱い子は、自己犠牲を払いながら、自滅する。他者に対する逆依存。
きちんと自尊心を持っている子は、正義を知るようになる。
 
親は、子供の友人ではない。
子供の話を聞き、子供の気持ちを理解してやることだけでは、任が足りていない。
自分の子供がいくつになろうとも、
絶対にやってはならないことは何か、そのことをきちんと教えてやることが、
親の役目でもあり義務でもあるような気がしてならない。
その上で、守ってやる。それが、親の愛だ。
 
子を持つ父親の一人として、僕自身肝に銘じたい。