劇団考

日本俳優連合の機関紙を読んでいたら、海外演劇事情と日本の劇団の比較記事があった。
おー、そうか、海外もだいぶ様変わりしているんだな、と。
 
意外だったのが、日本で言うところの「劇団」の数がイギリスでは片手の指で足りるとのこと。
「カンパニー」という名がついていてもそのほとんどが、
いわゆるユニットやプロデュ−ス公演らしい。
RSCは劇団だが、俳優の契約形態は1年毎の更新。(これは知っていた)
 
その記事の中で僕が注目したのが、 
新劇に代表される日本の劇団は、助成金などがない時代から
経済的自立を目指し、独自のシステムを開拓したこと。
(全国にネットワークを持つ鑑賞会システムなどか)
そしてその集団活動においては、俳優も含め構成員はその劇団に意識的には永年帰属し、
メンバー感で創造的信条を共有できたこと。
が反面、経済的自立を維持するために、
集団の中で俳優だけがパートタイム的な報酬契約を強いられてきた。
(出演したときのみ支払われる1ステージ単価のギャラのことか。月給制ではない)
結果、プロフェッショナルとしての集団が育ちにくかった。
 
比べてイギリスの演劇界では、
国の助成がプロ対象であったため、プロ集団であらねばならなかった。
そのため、芸術監督やプロデューサーの組織でプロ化をはかり、
俳優をアウトサイダー的な存在とした。役者は、組織の外部の人間。
プロ化は達成されたが、創造集団の持つ信条の共有化はなされなかった。 
 
僕が尊敬してやまない演出家ピーター・ブルック大先生も、
「時間的継続の中で、ともに仕事を持続させていく必要性がある」
と嘆いていらっしゃるとのこと。
というのは、3週間から6週間で1作品を創らなくてはいけないのが
イギリスの今の現状らしい。
(日本よりも、場合によってはひどい)
観客がかわいそう、とその記事にあった。
そして俳優の総数の90%が、失業状態らしい。
 
で、イギリスの俳優の最も大きな悩みが
そのような現状のため、自らのスキルアップのための訓練の場がないということ。
 
その中で確かな歩みを続けているのが、スコットランドの地域劇団。
劇場が劇団を持ち、所属俳優が7名、ほかに毎年男女1名ずつの新規者が採用(1年契約)。
継続的な訓練の場を劇場に持ち、長期スパンで芸術監督や演出家が俳優と仕事をする。
所属俳優に適した作品の上演ということも重要視している。
1990年代後半に創設したらしいが、今確実にその成果が表れはじめたとのこと。
 
で、ここでASCの話に立ち戻る。
僕は11年前の創設当初から、「劇団」という形態にこだわってきた。
劇団とは、継続的活動の中で定期公演を行うこと、これが必須条件だと思う。
同じ釜の飯を食う、という言葉が日本にはあるが、人間関係の綾を表現し、
青臭い言い方になるけど、
人が人として生きるということの素晴らしさを訴える続けることを至上の信念とする演劇活動において、
ある程度の年数メンバーが一緒にいないと、表現が熟成されない。と僕は思う。
その間メンバー同士、蜜月のときもあれば殴り合いの喧嘩もする。助け合ったり、足ひっぱたり。
そんなすったもんだを経て、劇団という組織が“人間化”する。
だから、ASCは「劇団」であり続けたい。
 
また、常に訓練の場を持ち続ける。
これも劇団を継続していく上での必須条件だと思う。
ASCでは、劇場入り直前まで必ずリハーサルとは全く別に、訓練のためだけの時間をとる。
本番に向けての稽古をしているときこそ、日常的訓練の本当の意味が分かるのだ。
意識が変わる。このことが最も大切。
 
役者は、つぶされることはない。
だめになる役者はたくさんいるが、彼らは常に
自らが自らからをつぶしていく、例外なく。
嫉妬心だったり、怠慢のいい訳だったり、劣等感のすり替えだったり、被害者意識だったりで。
 
だから、意識が大切なのだ。
プロになってからプロ意識が芽生える。
これ、大間違い。
技術的に未熟な若い頃からプロ意識を持っているヤツだけが、プロになる。
 
そして、意識は訓練によってでしか磨くことはできない。
だから、年間通してたゆまぬ訓練をし続ける。
 
1公演終わるたびに、なんとなく郷愁を感じているうちは、まだまだ甘い。
千秋楽のカーテンコールで悔しい思いをしているヤツ、こいつは伸びる。
自分自身に対してずっと満足できず、欲求不満。
もしかしたら、プロ意識とはそんなものかもしれない。 
 
話がそれた。
スコットランドのカンパニーとASCはほぼ同い年。
集団コンセプトも大きく違わないと、勝手に思ってる。
負けたくない。
そのカンパニーでは、俳優のモチベーションをあげる意味でも、
ロンドンや海外でも公演をするとのこと。
くそ〜、ASCでもそんなことがしたい。
エジンバラにフリンジ公演で参加するか?! 
 
観客は別として、
演劇芸術において、俳優という存在が最も大事な要素。
僕も常にそう思っている。
新生ASCは、そして集団を牽引する僕は、
改めてこのことを肝に銘じて、これからも精進していきたい!