100%やる必要はない。

今日また、外画の吹替えをやってきた。
4月から番組レギュラーで入っている中国武闘物。1話45分の全30話。
(まだ多分、作品名を公開すると叱られてしまう。)
番組レギュラーというのは、いろんな役をやるレギュラーということ。
とは言いつつもメインの役はある。
僕の役は、武闘家の「洞●」だったり、役人の「単鉄●」。
そして今日の役は、4月からデレクターから言われていた本役「●王」。
(ん〜、はっきりかけなくてもどかしい)
 
で、演技の話。
このこともよくASC演劇研究センターのレッスンのとき研究生に話すが、
演技は、その目指す形を舞台の上で100%表現する必要はない。
己の目指す理想の人物像の、70〜80%くらいを俳優は表現すればいい、と僕は思ってる。
あとの2,3割は観客のイマジネーションに委ねるのだ。
舞台の上で100%演じてしまうと、その瞬間にいわゆる
「説明的演技」「類型的演技」に成り下がる。
そしてその手の演技は、劇場で時間を共有している全観客に等しいイメージしか伝達しない。
1000人いたら1000人が同じイメージを持ってしまう。
いやイメージじゃないな、一種の記号だ。
俳優は低俗な満足感を得るかもしれないが、観客は退屈。
 
反面上手い俳優というものは、つまりはやり過ぎない。
その分観客は、自分のイメージの中で人物を造形できる。
1000人いたら、1000人が違うイメージをもてるのだ。
これこそライブ、演劇にしかできないことだぜっ!
 
で、今日の吹替え。
ついつい声優やってるときは、100%声で表現したくなっちゃうんだなぁ。
何でかって言うと、だって、他人の演技に声をつけるんだもの。
「俺ならこうしゃべるぜ、このセリフは!」
ってことをアピールしたくなっちゃうんですわ、ホントに。
で、結果熱演になる。声の調子にもいらぬ力が入る。
声に力が入ると、身体は無意識のうちに緊張する。
すると、さらに声が硬くなりセリフがりきむ。
あ〜、悪循環。
 
でも今日の役「●王」、僕の最も得意とするキャラだった。
言ってみれば、ダミ声の八百屋の親父キャラ。
(うちの親父は八百屋、市場の。今もうぼけてるけど、昔は競りのかけ声には惚れ惚れしたものだ)
でも、中国明朝の圧制を倒した民衆の王様なのだ。
いい緊張感の中、楽しんで仕事ができた日だった。
よしよし。(^。^)y-.。o○
 
話は変わるけど、それにしても最近、
若手自主公演「アンダンテ」メンバーのブログの更新がちょっと鈍いなぁ。
みんな稽古に煮詰まってるのかなぁ。
お〜い、元気か〜〜?
頑張らなくてもいいから、踏ん張れよ〜
おじさん、相談にいくらでものるぞ〜〜〜