コンプレックスは、直らない?!

野口の9月7日の書き込みで、また改めて考えた。
 
コンプレックスは、一生かけても直らないのだ。
 
いや、この表現は語弊がありますな。
では補足説明。
遺伝子レベルのコンプレックスや、
自分ではどうしようもない子供の頃の環境による性格形成は、
完全に矯正しようとしても無理なんじゃないかとよく思う。
だって、あと10cm身長が高ければ役者として売れてたのになあ、などと嘆いても
いまさら伸びるわけないし、ましてやもし女(男)だったら幸せだったなどとほざいてみても
性別が変えられるわけがない。
(いや、無理やりにならできるか?)
子供の頃の環境も同じ。
この親じゃなかったらもっと幸せだったのに、
(なんと親不孝の無礼者か)
などは言語道断。
 
だからさ、未成年のうちに出来上がってしまったコンプレックスは、
全部親のせいだ、と開き直ればいいのだ。
それでね、成人してからはこう考えるといいんじゃないの。
 
コンプレックスは、わが良き友だ。
愛すべき自分の一部だ。
それがあるからこそ、ない人よりも見えてくるものが違ったりする。
自分独特の視点&思考、そこに個性が存在する。
世界でたった一つの自分の個性、スペシャルワンだ。
コンプレックスこそが、人間の個性の中核だ。
 
自分という存在の一部であるコンちゃんを亡き者にしようとするから、
コンちゃんは怒り出し、もっと暴れる。ゆえに、悩む。
コンちゃん曰く、「僕は、ここにいるんだぞ〜、認めてくれ〜〜」
コンプレックスを可愛がり、コントロールすること、それが大事。
コンプレックスを克服した、そう見えるのは傍目の話。
当人、実はいつもコンちゃんとニラメッコ。
 
自己のコンプレックスと常に真正面から向き合うこと、
そのことが人を成長させ、豊かな情緒を育む。
 
これ、役づくりと全く一緒。
だって役をつくるときは、その人物のいいトコ悪いトコ全てをじっくり見るでしょ。
もう徹底的に厭らしいくらい観察するでしょ。
シェイクスピアの魅力的な人物たちも、みんな強烈なコンプレックスの持ち主だ。
だから、面白い。
自分の人生も、芝居のストーリだと思えれば、それほど深刻にならずにすみそう。
役づくりも人生も、楽しく真剣に。辛く深刻はダメ。
前者は前進、後者は停滞。滞り流れが止まるとすぐ腐る、水みたいに。
 
なんだかまとまらなくなってしまった。
途中やめでも許されるのが、ブログのいいとこさね。
 
自分で「考える」という流れを止めなければ、人生は楽しい。
そのきっかけをくれるのが、わが良き友コンちゃん。
 
ゆえに、コンプレックスは直らない。
直っていなくなってしまわれては、困るのだ。