できることは、信じてること。


 
NHKマイケル・サンデル 究極の選択」大震災特別講義 を録画して昨日見た。
上海、東京、ボクトンの学生を(日本では数名の著名人も加わった)をネット中継で結んで行われた。最後のサンデル教授の言葉が印象に残る。

「議論の中では意見の不一致もあった。しかし今回の災害を世界がどう受け止めたのか、どんな意味を持つのか、それを理解しようと私たちは力を尽くしてきた。私の願いは、国境を越えて交わした今日の議論が、たとえささやかでも日本の皆さんへの励みとなることです。
日本の皆さんが行動で表した美徳や精神が、人間にとって世界にとって、大きな意味をもつということ。それが再生、復活、希望につながる一助になればと思います。
今後、日本の皆さん、そして善意をもって支援をしようという世界中の人々が、この議論の中に何かを見出してくれればと願います。参加してくれたみんな、どうもありがとう。」

議論するということは、
結論にのみ意味があるのではなく、
議論をする行為そのものに大きな意義がある、
とサンデル教授の番組を見ているといつも感じる。
議論という行為の意義とは、
議論する、問題を互いに投げかける、そこから
各人がそれぞれ何かを見出す一助とする、ということだ。
 
ところでなぜ僕は、
教授の最後の言葉が印象に残ったのだろうか。
我々の思考を活性化させ議論を深めさせることが、
サンデル教授の「義援の形」、そう思ったからだ。
つまりは、
もうわかったからといいたくなるくらい♪AC~♪がテレビで繰り返している
『いまわたしにできること』だからだ、教授にとって。
僕が驚いたのは、
教授にとっては、いつもと変わらないことなんだ!
ということ。
 
力ある人にとっては、震災前も震災後も
やることが変わらない。
 
★★★★★★★
 
自分のメモ帳を見ると、
震災後(3月時点)の演劇人の意見の中に、
たとえば次のような正直な言葉があった。
 
「公演するかどうかの議論は演劇をやる意味を見つめることにつながった。やりたいからやるでは通用しない場面で、社会との接点を改めて考える必要を感じた」
 
また別の率直な気持ちに、
 
「演劇行為に迷いがあった自分は、震災という非常事態のおかげで、逆に焦らなくてもよくなった。自分の中に妙な安定感。変だ。その正当化のために、今は何もしなくていいということか。“やる”ほうが“やらない”よりつねに難しい。が、今は、ことさら“やる”理由を見つける必要はない。そして、いつものように、やり続ければいい。やり方が変わるだけだ。やらないことではない。」
 
また僕はといえば、
震災前の2/28に三重Duoでわが人生最大級の挫折をしたばかりだったので、
http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/searchdiary?word=%5B%BB%B0%BD%C5Duo%5D&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail
震災に関係なく、実質活動休止状態だった。
そんな人間がここぞとばかりにエラそうに発言した。
⇒過去エントリー3/21 「元気よりも電気だ。」
http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/20110321
だれに反論したかというと、
震災前から予定していた公演にもかかわらず、
変な後ろめたさや自信のなさから「普通」にやれなくなり、
ポンプアップを図り、カラ元気的な意義をひねり出して
自らを無理やり正当化しようとするかに見えた活躍中の演劇人に対して。
僕の僻みか?
 
とにかく、震災直後は、芝居人、
とってもみんなおかしかった。
あたふたしていた。あたりまえだが。
(そんな中、老舗新劇の仲代さんの言葉は、「普通」で、率直で、素直で、いまだに響く。)
 
★★★★★★★
  
力のないやつが、吠える。
力がないと自覚してても認めたがらないやつが、もっと吠える。
 
ふだんの生活の中で、
自分のやっていることをどのくらい信じているか、
こういうときにはっきりしてくる。
 
力があってもなくても、
いま「信じていること」をやればいい。
それがいま「自分にできること」だ。
 
『信じていることしか、自分にはできない。』♪ASC~♪