時間はある。日野ブログを読んで。


以下は、日野ブログ「空のはじまり」9/7エントリーより。
http://d.hatena.ne.jp/satokohino/20100907

■[“シェイクスピア Duo オンデマンド”] 「受信したい」という発信
 
今日は後期最初の声優学校の講師の日。
「目の前の人を大切に」
そのことを胸に、しかし授業では、1対大勢だ。
これまた難しい。
1人の生徒に向かって話してもだめだし、大きくばら撒くのも違う。
しゃべっていて思ったのが、その話している事物に対してまっすぐ核に向かうことだと思った。
伝えたいこと、そこに向かって更に更に収斂していくこと。
そのことから、人は受信しようとしてくれる。
つまり、私は人にぶつけていくのではなく、伝えたいことにしんしんと研ぎ澄ましていけば、
それを人は、その人の意志で「受け取りたい」と発信してくれるということだ。
人が力を貸してくれるのは、貸したいと思ってくれるからこそ。
あたりまえのことだが、正しいと自分が思い込んでいる時ほど、押し売りをしそうになる。
あたりまえのことは、忘れがちだ。
そのことを覚えておく。
 
・ ― ◇ ― ・ ― ◇ ― ・ ― ◇ ― ・
 
と、ここまで書いて、
こんな文章は子どもが読んでもよくわかんないよなあと思う。
もっと広がる文章。
人が風景で想像してしまうような言葉。
その変換作業ができるようになれば、戯曲ももっと気持ちよくわかるようになる気がする。
(以上、日野ブログより)


 
『私は人にぶつけていくのではなく、伝えたいことにしんしんと研ぎ澄ましていけば』
  
そうなんだ、その通りなんだ。
だがここで大きな課題になってくるのが、時間の制約。
時間がないと、大切な「しんしん」ができにくくなる、お互いに。
マホロバ合宿で大きな成果がいつも上がるのは、
http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/20100814/p1
この時間の制約が日常よりはるかに少ないからではないかと思う、お互いに。
 
十分な時間がなく、
おまけに明らかにあたりまえの正しいことを伝えようとするとき、
頭から押し売りしそうになる、押し付けてしまいがちだ。
 
たとえば、子どもに交通指導をするときなど。
今朝のスクールガード、久々の雨、
傘のせいで子どもたちがいつもより危険、
大きな声で何度も叱ってしまった。
が、いまひとつ伝わった感がない。
おそらく「キレてるおじさん」と思った子どもたち。
子どもたちだって時間がない、久しぶりの雨で懸命に気をつけて歩いている。
その真剣な気持ちを僕はすくい取った上で指導していたか。
子どもたちの気持ちはわかっていたか。
「気持ちはわかる」、これを伝えることがまず一番だ。
その上で叱る。じゃないと、やっぱりキレてるだけになる。
 
・ ― ◇ ― ・ ― ◇ ― ・ ― ◇ ― ・
 
『こんな文章は子どもが読んでもよくわかんないよなあと思う。』
 
君の言いたい事はよくわかる、いつも。
だけど、いつも何度も読み返してしまう(笑)。
 
シンプルにあたりまえに考えていく。
そうすると、とたんにストンと深いところに行き着いたりする。
そこにある言葉は、おそらく子どもにも伝わる。
心と心をつなぐ言葉。
意味はわからなくても大事なことは伝わる、そんな気がする。
 
ひとつのコツは、
時間がなくても、
時間がない、と思わなければいいだけかもしれない。  
   
※画像1枚目は、日野ブログの背景デザイン、
2枚目は、見ての通りの子ども用長靴。
今朝は僕も長靴、いつ履いてもちょっと楽しい。