あと30年、生きると決めた!


 
覚悟。
自分でするのも難しいが、
若者に促すのはもっと難しい。
これまでなんども失敗。
悩む。
 
いままでの僕のやり方について。
いまひとつ腹をくくっていない状態でも
見切り発車、若者に挑戦させた。
始めりゃ、できる。
叱咤激励し、また見えないところでフォローもし、
若者は何とかそれをやり遂げる。
大きな達成感。
 
と思いきや、案外そうでもなさそう。
ヨロコビ、タリナクナイ?
達成感さえ感じることができれば、必ず次につながるはずだ。
と僕は考えていた。
が、それは大きな間違いだった。
と、この年になってやっと気がついた。
ったく、もう。
  
覚悟がないまま達成しても、
達成感は得られないのだ。
若者の印象は、流れの中で「できちゃった」。
「オレは、やった!」では決してない。
 
このあたりまえの理屈がなぜ指導者の僕は
長い間わからなかったのか。
あまりに情けない。
というより有害。
腹を決めなくても周りの大人が何とかしてくれる、
と若者が人生をなめてしまうではないか。
だから、次のチャレンジの時にはもっと覚悟できない。
気が緩む。
ゆえに僕はもっと叱咤してしまう。やらせる。
なんとかできた。
が、さほど嬉しそうでもない?
 
そしてまた同じことが繰り返される。
何度も。
が、若者の意識のうえで成長は見られない。
あたりまえだ、僕のせいだ。
 
若者はどう思っているかというと、おそらく
「毎回毎回うるさいなぁ。いつも最終的にはできてるからいいじゃん!」
思い上がってしまっている。
いや、僕が思い上がらせてしまったのだ。
 
さらに思う。
若者の資質を見抜く力が、僕には足りない。
おそらく、自分の理由で目がくらんでいる。
僕個人の若者に対する一方的な期待や善意、
あるいは、僕にももちろん短所がありそれを自覚している分、
過剰にいいことをしたくなって、若者の人生に踏み込んでしまっている。
まるで独りよがりの熱演だ。自分だけがいい気になり、観客は引く。
 
僕は若者の尊厳を踏みにじっているのではないか。
自分のための、自分の中だけでの、
辻褄合わせの善意は、結局自分への挫折につながってしまう。
虚脱。
が、それは自業自得だ。
 
また、
知ることは、
知って動くことは智慧につながるが、
「知らぬが仏」ということもある、
そのほうが楽しくいられることも。
たとえ真実であったとしても
その段階で知らされないほうが、
若者の成長にとっていいことも必ずあるのだ。
オセローだって言っている。
「知らなければオレは幸せであったはずだ!!」
 
何でも言えばいいというものじゃないのだ!
成長過程での絶妙のQをとらえ、的確なアドバイスをする。
それが指導者というものだろ、バカタレ。
 
★★★★★★★★★★
 
本日の反省、終わり。
次に最近心がけていることを書きたい。

1 すべて聞こう。
2 情緒の安定。
3 今後30年は、これまでの人生とは真逆の行動をする。

1に関して。
まずちゃんと聞かなければ大事なことは何も始まらない、
そのことにやっと気がついた。
 
2について。
「子どもの情緒を育むためには、
情緒の安定している大人がそばにいることが大事」
という記事を読んだ。
そこで、素直な僕はすぐそれを実践しようと試みた。
「情緒を安定させるぞ!」
そう心がけると、案外できることに気がつく。
そしてそのほうが、「伝わる」。
いろいろなことが、子どもたちに。
これはいい。
 
3。
18歳で上京してちょうど30年。
あと30年生きることにしようと思った。
よって、今年は折り返しの年に決めた。
つまり、僕は今年9月で、2度目の19歳になるのだ。
よく思いませんか、
「いまの年齢の経験や知識があれば、あの時もっとうまくいっていたなぁ。
このままあの頃にかえってやり直せないかなぁ」なんて。
それをやろうと思います。
やろうと決めればできないことはないような気が、ふっとしました。
でもって、これまでは自己主張ばかりしてきた30年で、
皆さんにも多大なご迷惑をおかけし、反省ももう本当にたくさんあります。
が、それをいちいち検証してやり直すのもめんどくさい。
よって、これからの30年は、
これまでとは真逆の行動をしてみることにします。
きっと発見は大きいにちがいあるまい。
よろしくお願いします。
 
「すみません」とお詫びの言葉を重ねるより
「ありがとう」をたくさん言える人生でありたい。
 
※画像は、クイズです。さて何番が正解でしょう?!
スイマセン・・・・・