未知なること。

どうもここのところ、未知なるものに遭遇しない。気持ちのうえで。
その後の自分の人生が予測不能といった感じの過去の出来事、いまぱっと思いつくのは
 
・初めて子どもができたとき。
・結婚したとき。
・車の免許取得のための教習所での初日。アクセルひとつで人生が変わると思った。ドキドキした〜。
・ASCを創ったとき。
・グローブ座カンパニーの初参加。
 
さらにそれ以前は、もう20歳代になってしまう。その頃なら結構頻発して人生変わってた。だいたい日々のことに追われて人生を予測する余裕なんてないし。それに、なんだかわからないけど自信だけはあった、根拠ないけど。グローブ座カンパニー初参加がちょうど30歳の年、おっと、その頃生まれた赤ん坊は大学生か。お、つまり、ここ20年弱の間に免許を入れてもたった5回しか未知とは遭遇していない?!なは、つまらない。
 
上の5つの出来事の中で一番は、結婚や子どもよりも実はグローブ座。詳細はいま割愛するが、これはもうなんというか、神の思し召しとしか考えられない。この縁がなければ、いまの自分は絶対にない。ま、あたりまえだけど。
 
でもって現在、その出来事に匹敵するくらいの僕にとっては大きな未知と遭遇しかかっている。それは何かというと、いまはちょっと言えない。なぜ言えないかというと、その遭遇を意図的に避けてしまうかもしれないからだ。未知との遭遇を受け入れるのには、勇気がいる。若い頃の根拠はないが自信だけはあった自分と違って、今は根拠がほしい。根拠が勇気に変わるような気がする、が、そんなことを考えていること自体がすでにオッサンか。頭が固い。
 
“ニューフィクション”メソッド、新しい関係の構築とその連続。
未知との遭遇は、願ってもないこと。たぶん理屈はいらない。遭遇してしまえばいい。遭遇しながら考えればいい。遭遇する前に考えているふりをしているだけだな、いまの状態は。遭遇が怖いだけだ。そりゃ怖いさ、よく知らないんだから。
 
止まって悩むな、動きながら考えろ。