“突っ込み演技”訓練2。

4月25日の日記:劇的な「観客の衝動」&受けを学ぶための“突っ込み演技”の訓練。
http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/20100425

今後の課題のひとつ、塾生の“突っ込み演技”の強化。9日の“あやのぎ塾”レッスンでちょっとだけ先が見えた。日野。僕が提案したテキストは2つ。「マクベス」暗殺前後の夫妻の会話、または「ロミオとジュリエット」バルコニーシーン。塾生が自由選択。「マクベス」人気なし。全員が「ロミオとジュリエット」だ。なぜ?その理由はここでは割愛する。
 
日野ジュリエット、新塾生の脇ロミオ。バルコニー全部は到底無理、はじめの1ページほどを何度も返した。その様子は、1つの作品を上演に向けて稽古していく過程の、その早送りのようだった。たくさんのムダと相変わらずの下手さ加減、悔しさ、挫折感、甘えの涙、その他もろもろを経て、3時間ほど繰り返し続けた最後の1回、最終的に「表現」への手ごたえを本人も僕も感じた。甘えるが諦めないところが、蛇年さそり座の日野のいいところ。脇は突っ込みきれなかった、と本人も大いに自覚&反省。
 
思うに、相手を突き動かすだけのエネルギーとは、結局のところ自分にどれだけ突っ込んでいけるかしかないと判断。まあ、あたりまえといえばあたりまえの帰結。
 
最前線に立て。
俳優とは、生きてる人たちそのみなを代表して、人生とは、生きるとは、その豊かさを謳歌する職業だ。誰かが何とかしてくれるなんて他力本願は、俳優の心意気ではない。
人間の、人生の最前線に立て。
そのための最善の訓練方法は、自分の人生に自分で突っ込み倒すことだ。
演技とは、生き方だ。
これもあたり前田のクラッカーだ?! 知ってる人は僕と同世代だ(笑)。
 
あ、そういえば、んなことを考える前に、午前中、居酒屋太治兵衛の板長が稽古場に。果てしなくお世話になっている第二稽古場、「ムダ話の会。」のメイン会場「太治兵衛 」の板長だ。午前11時、まだ起きたばっかりな感じ。
何しに登場?!と思っていたら、思いがけない人情の厚さを実感することに。詳しくは日野のブログで。
http://d.hatena.ne.jp/satokohino/20100510地域密着型蕎麦レオタード
温かい人情に触れたから、あたりまえだがすばらしい人生哲学&演技論を午後のレッスンで再発見するに至ったのかもしれない。「あたりまえ」はすばらしい。
http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/20091231あたりまえを教え育む。