勉強会、佳境です! 秘密なブログ。

「ペリクリーズ」勉強会、佳境に入ってます! 佳境とは、言ってみれば楽しく、嬉しく、快感な境遇。本来の意味からは決して、大変で、忙しく、苦しい境遇ではないはず。なのに、後者のニュアンスで使われる傾向にあるのはなぜだろう?
 
快感の前には、必ず痛みがあるからだな、きっと。まさに勉強会もそんな毎日だ。長い日は、10:00〜17:00の稽古、野外。稽古時間の長さとしては普通の稽古と変わらないが、その間ほとんど座らない。少なくとも僕は一度も座ってない。で、休憩らしい休憩は、ない。トイレ休憩のみ。なにか食べたければ、他の人がトイレに行っている間に済ます。ちなみに僕は、ほとんど食事はとらない。
こう書くと、過酷だ。が、実際には、緑の中での稽古は屋内密室よりも疲れないし、休憩がないことがそれほど苦痛でもない(僕だけか?)。小学生の団体がバスに乗ってミュージアム見学に来たりして、ついでに僕らの様子に注目したりする。
 
先生「みんな、お芝居の稽古の邪魔にならないように静かにして。」(僕らの看板をみて)
僕「いやいやいいんです。気にしないでワイワイやってください。みんな、おはよう!」
小学生たち(40くらい?)「おはようございま〜す!!」
 
「頑張ってね〜」と帰り際、子どもたちから声援までもらった。
そんなこんなであっという間に、午前中の暖かな日差しが夕暮れとなり日没、暗くて台本が読めず稽古終了。
 
そのほとんどの時間塾生たちは、自分という人間の全貌に対し、芝居を通じて向きあっている。思いっきり自分と向き合う、これ結構きつい。だって、1日7時間も向き合い続けることって、そうないでしょ。普通の稽古では、ほかの人の場面・自分が出ていない時間があるわけで、若くて下手な時期はとくに出番が少ない、稽古場の席に座っているときの方が多いわけで、7時間ずっと演じているなんてそうそうない。
おまけに、強烈な僕の指摘にずっとさらされ続ける。演技がうまくいかないのは、一にも二にも人との関係性の持ち方・考え方に問題がある場合が多い。そこを細部にわたりつつかれ続ける。たまったものではない。
 
さらにさらに、稽古でのその痛みを衝撃として記憶するよう要求されている塾生たち。どういうことかというと、11月にはいって、勉強会の稽古日誌を専用ブログに個々人が書くよう、僕が指令を出した。これは非公開、公開すると赤裸々にかけないからメンバー専用ブログとした。
痛みの記憶。痛みのデータベース。
痛みが一番記憶に残りやすい。が、痛みは後日呼び起こしにくいことも確か。だからこそ、その痛みの直後に訪れるエクスタシーも一緒に記憶する必要がある。そのためにまず、痛みを衝撃として記憶し続ける。主観を客観として受容する行為。簡単に言えば、間違ったことをしたら痛いのは当たり前、という当たり前のことを日々知ること。当たり前は、勇気が出る。その連続が、ある日とてつもない快感を生み出すように思う。その心の方程式が実感できると、怖いものが格段に減る。そうなったら儲けもんである。
 
塾生たちの公開ブログの更新があまりなされていないのは、非公開ブログで自分と向き合い、自分の痛みに耐えている時間が多くて、それでいっぱいいっぱいになっているからだと思う。勘弁してやってください。