名言報告「ムダ話の会。」

「ムダ話の会。」、実際の内容報告はしないといっておきながら、前回3回目の会の名言をイレギュラー報告としてブログにアップしてしまった。
http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/20091102
で今回4回目も、やはりいくつかの名言があった。あ〜、アップしたい。ということで、今後もたぶんこういうことになってしまうので、いい話や言葉は名言報告としてアップすることにした。活字にするとなんだか色あせてしまいがちにもなるけれど、いいんだ、それを読んで会の参加者がその臨場感を思い出し各人の日常に役立てればいい。また、少しでも興味を持ってもらって新たな参加者が増えることになれば、それこそ嬉しい。
 
報告1:『自分に与えられたものを使いきる意志、それこそが人生』
「ズバリ!”生きる”とは?」という真鍋が提案したテーマに対するSACHの発言。いや〜、単純明快で気持ちがいい。
 
報告2:『理想の“素の自分”とは、人との関係を面白がっているとき』
「理想の“素の自分”とは何か。」という日野からの提案に対する、僕だけのとはいえないけど、まあおおむね僕の言葉かな、これは。
舞台の上で自由にいることは、かなりむずかしい。ましてや日常生活となると、仮面を付け替えることなく素のまま自由でいられることなんて皆無に等しいかも。日野はたぶん自由でいられる自分を「理想の“素の自分”」と表現したと思う。そのひとつの回答が、人との関係を面白がっているときではないかな。とくに、無邪気に人をからかっているとき。からかうという行為は信頼関係なくしてありえない。信頼はリラックスや自由につながり、気負うことのない素の状態に近づく。人との関係を面白がるということは、「あなたと一緒にいられて私は嬉しい」という好意の表明に他ならない。それが相手にも伝わる。
役づくりとは、面白いことを探すこと。人との関係は、やはり面白い。
 
報告3:『子どもたちにいま大人としてやりたいこと、それは挨拶』
「可能性の塊である子どもたちに大人がやっている、悪いこと、いいこと、そして明日からやりたいこと」という僕からの提案に対する、みんなの中から生まれた言葉。
挨拶は、双方に存在を認め合う行為だ。
人が多すぎる、多すぎると他者の存在を自分の意識から努力して消さざるを得ないときがある。いやすでに都会に住む現代人は、努力なく習慣的にそれをやってのけている。満員電車、人中なのに個別でいる。そんな社会の必要悪が、いま子どもに伝播している。
大人に見られているという自覚、それは愛され守られているという誇りにつながる。存在するに足る自分、という尊厳。また悪いことはやってはいけないという当たり前の良心。子どもたちの心のなかに尊厳と良心を養っていく、そのための最善で最高ですぐにでもできること、それが挨拶だ。大人としてできる限り多くの子どもたちにたくさん挨拶をしていきたい。明日からやりたい。全員一致。
 
今回のテーマ数は、なんと19。かりにどんなに捌きがよくてもムリ、議長彩乃木はお手上げ。半分弱をこなしてタイムオーバーとなった。残りのテーマは、次回に持ち越す。で次回は、すぐに開催する予定。お楽しみに。