最近の「お願いメール」

ちょっと説教くさくなってしまうかもしれないけど、最近とても気になることがあるのでここで一度話します。
最近僕のところに届くメールのうち、何かを依頼されるメールについて。
そのパターンがすこし気になってきた。

【パターン】
1)途中やめの文の多用。
「〜ですが・・・。」「〜なので・・・。」「〜してしまい・・・。」
「〜ですし・・。」「で、むずかしく。」などなど
 
2)お願いなのに、こちらへの疑問の投げかけ。
「〜ですがどうでしょうか?」「〜ですがどう思われますか?」
 
3)最終段落が次のような文章で終ってる。
「〜していただければ幸い(幸甚)です。」
「この件でまたお話しできればと思います。」

ん〜、と唸ってしまう。
こういう依頼メールを読んでまず最初の印象は、さほど差し迫ったお願いではないんだな、という感じだ。つまり、僕がやらなくてもいいことなんじゃないかな、と思う。
  
なぜそう感じるかちょっと分析。

1)について。
「〜」の部分はほとんどが本人の個人的事情。まずその事情を伝えなくては話しが始まらないとは思うが、事情だけ伝えられてもこちらはいったいどうすればいいのだろう。つまり、やってほしいことが書かれてない。匂わせてはある。が、明記されてない。「察してくれ」「あなたが決めてくれ」ということか。
『せんせい、オシッコッ!』のあとの『おトイレにいかせてください!!』が、ない。
  
2)について。
1)よりはいいと思う。事情伝達のあとに「問いかけ」という意思を感じるから。ただ、その事情に対しての自己分析・判断がなにも語られず、問いかけることによってその判断と責任をこちらに丸投げだ。思いっきりの責任転嫁。1)も2)も甘えが透けて見える。甘えたいという意識的な意思表明なら問題ない。そうなら僕には抵抗はない。その意思に応えるか応えないかは僕の責任ですむからだ。
 
3)について。
やってほしいことは述べられているかのように思えるが、でもこれはいってみれば自分の思いだけで文章が終ってる。「やってくれれば自分は嬉しい」「もっと話しを聞いてほしいと自分は思ってる」ということだけで用件が終ってる。こちらへの明確な要求はない。それでいいのか。いかにも日本的? つつましさ? 足りていないと思う。

どのパターンにも共通して足りないこと、それは依頼するということが重要な用件にもかかわらず、「お願い」していないということだ。「お願いします」の言葉が、文末どころかメールの本文全体のどこにも見当たらない。「よろしく」もない。正式な手紙じゃなくメールだから、あまりに堅苦しく長くなってはメールという本来の利便性を損なうことにもなるが、そうは言ってもである。若者だけではなく、僕より年配の人たちにもこの傾向が見られはじめた。だから、最近ちょっと気になる。
 
若い役者たちのセリフが相手役にかからない(届かない)のは、もしかするとこんなことも影響しているのかもしれない。本心を伝える意志が薄弱なのか? 分かってくれることを前提に話しているのか? 観客は親じゃないんだ。
 
自分の意志をはっきり相手に伝え助力を願う。
自分の意志があって、初めて相手との新しい関係が生まれる。
これは、“ニューフィクション”メソッドの原点。
心の底からのお願いは、人を動かす。
 
真剣な「お願いします」と心からの「ありがとう」は、対句の言葉。
大きな声でちゃんと「お願いします!」を言っていないから、元気よく素直に「ありがとうございます!!」が出ないんだな、きっと。
僕も気をつけねば。若者だけの問題じゃないな、きっと。