頭が固くなってるよ〜!

頭が固くなる。
これ、明らかな老化現象。
最近ちょくちょく感じる。
困ったな〜
 
真理や本質。
これはきっと普遍なもの。
 
が、それを立証するための正論は、普遍ではない。
だって、正しい「論理」だから。
論理は、構築されるもの。
構築する過程において、現在の状況や時間的流れの把握は不可欠。
状況や時間、これは常に移り変わるもの。
移り変わるものを取り込み、本質に向かい論理は構築されるのだから、
正しい論理=正論は、絶対的普遍ではない。相対的なものだ。
相対的でなければ、他者には伝わらない。人もまた、相対的生き物だから。
 
どんなに本質を突いたかのように見える正論でも、
絶対であると思い込んだ瞬間、たぶん風化する。伝わらない。
傲慢な邪論と受け取られかねない。
 
若い頃、正論あるいは自分の中の真実を述べているとき、
言っていることは正しいはずだと思いながら、
いつも自分の言葉のどこかに自信がない感じがある。
この状態こそ、いい。
いい意味で自己に対し懐疑的な状態で、
心のバックグランドでウイルスソフトのチェックのように、
検証作業がフル稼働しているからだ。
 
自己を検証する心的作業と正論を述べる表の行動、
この共存・共時性こそが、他者に対して説得力を持つように思う。
 
若い頃は、自己の正論を実証する経験知がない。
だから、脳みそ目いっぱい使って、
いろいろな角度から考察思考して検証するしか手立てがない。
年をとればとるほど、経験知は増す。
ある程度の社会的地位ともなれば、その経験知に大きな自信も生まれる。
 
だが、そここそ落とし穴。
どんなに本質に基づいた経験知であろうとも、絶対はない。
自己検証の努力を怠ったとき、非常に優れた正論も意味を失うどころか、
優れていればこそ、害ともなってしまう。
 
老化して頭が固くなる。
それは、自己検証作業をするエネルギーがなくなってしまうということだ。
若者に可能性を感じるのは、その莫大なエネルギーだ。
 
正当化することに多くのエネルギーを費やしてはいけない。
その分、自己検証に費やさなければ。
 
『なぜ今があるか、なぜここにいるか。』
 
ASCと“あやのぎ塾”の心得の言葉。
きちんと考え続けていかなくちゃと、改めて思う今日この頃。
若いやつには負けないぞ!