情報過多。

研究生を指導していくときに、いつもこの問題に僕はぶち当たる。
要は、しゃべりすぎる。
演技においては100%演じないほうがいいと言っておきながら、
指導するときの言葉は多分200%越えているんじゃないかと思ったりする。
 
わかっっているつもりなのに、その場になるとしゃべってしまう。
きっと僕に判別能力が不足しているせい。
研究生の顔、理解していないときと考察しているとき、
その区別が分かっていないのだ。
それと、その時点でおかれている彼らの状況の把握不足。
 
人は感情の動物だものなぁ。
正論ほど、言われるとむかつくもんなぁ、自分でもよく分かっているから。
言われる側は「おっしゃることは分かってます」という信号を発信してるのに、
さらに言われ続けるとうんざりしてしまうんだろうなぁ。
僕だってその経験があるのに、どうしてそうなっちゃうんだろう。
 
とにかく彼らを成長させたいという熱意なのか、
それとも言われる側の「お腹いっぱい信号」をキャッチする能力に僕が劣っているのか、
そして自分が言いたいことがいっぱいあって、とにかく言いたいから、
その信号をキャッチすることが疎かになっているのか。
前者のつもりで、きっと後者なんだろうなぁ。

 
芝居だってどんな名演技でもQ(タイミング)をまちがえばなんの感動もないのに、
いざ指導するときは、よくそのQをはずしているように思う。
 
猛省。
 
本番の舞台では、真実のQは観客が教えてくれる。
とすれば、指導するときの絶妙のQは、研究生が教えてくれる。
彼らに集中することだ、自分の言葉にではなく。
彼らが欲していることを必要十分に、かつ過分にならないように伝えるのだ。
いや、演技と同じように7・8割でいいのだ、あとは彼らのイマジネーションと考察力にゆだねるのだ。
 
そうなのだ、指導の場では
実は指導者の僕が教わっている。
 
謙虚、謙虚。そして、感謝。