台湾における日本観光&文化紹介専門誌「WASABI」のインタビュー

こんな取材を受けました。
僕やASCの写真もカラーで大きく取り上げてくださるようです。
インタビューの原稿をそのまま皆さんに紹介しますね。
これも長いですよ〜、覚悟してお読みください(笑)。
校正前なので、誤字脱字はご勘弁を。
  
1.幼少時期は、どんなお子さんでしたか?生まれ・育ち・生活や家庭環境などをも含めて教えてください。
  
幸せか、不幸せか、よく分らない幼少時期だったように思います。4歳のときの記憶が、僕が覚えている初めてのものですが、母に連れられ列車に乗り、見知らぬ土地に1歳の妹と一緒に連れて行かれました。そして、一人の女性のお宅を訪ねました。僕と妹は外の陽だまりで遊んでいなさいと言われ、母はその女性となにやら口論をしている。
あとで判明しましたが、父の愛人だったようです。以来父は、年に1〜2回くらいしか自宅には帰らず、両親はほぼ別居状態。それでも小学校から帰宅して、玄関でタバコの匂いがし、父がいると分かると嬉しくなったものでした。
そんな両親なのに、僕より11歳年下の弟ができるのですから、男と女は本当に分からないものですね(笑)。母は、本当に気丈で楽天家な女性でしたので、僕はゆがまず育つことができました。なんせ、中学校ではグレルどころか生徒会長も務めましたから(笑)。
 
2.演劇との出会いは、いつどこで、どんなものでしたか?なるべく具体的に教えてください。
 
これははっきり覚えています。
中学2年の音楽の時間。その授業が僕の人生を劇的に変えてしまいました。
その日は、音楽鑑賞でした。シューベルトの歌曲「魔王」を聴きました。僕にとって、あまりにも衝撃的でした。一人の歌い手が、4人の登場人物を歌い分けるその歌曲は、僕を魅了しました。すぐに先生からそのLPレコード(懐かしい響きですね)を借り、自宅で聴いてはその歌手のまねをして歌っておりました。あまりしつこくやっているものですから、母は少し心配になっていたようです(笑)。
である日のホームルームの時間に何か余興をすることに突然なり、僕が「魔王」の虜になっていることを知っている友人が、僕に歌えと要望し、僕は嬉々としてクラスメートの前で歌い上げました。人前で披露する、なんという快感! が、そのあとに更なる快感が僕を待っていました! クラスメートの絶賛の声と拍手!! 
自分が好きでやっていたことが、自分のみならずみんなをこんなに喜ばすことができる。
僕の初めての、劇的な演劇体験でした。
その中学校には演劇部がありませんでしたので、すぐに友人と演劇部を作り(その友人も現在プロの演劇人として活躍しています)、お芝居を始めました。モリエールの「守銭奴」が僕の本当の初舞台です。生意気な中学生ですね(笑)。
それ以後現在に至るまで、演劇は、僕の人生となっています。
 
3.日本における芝居(演劇)の現状について、台湾人に分かりやすいように教えてください。とくに東京の状況について。
 
あまりに混沌としているように感じます。何に向かって、日本の演劇は進もうとしているのか。指針がよく分からない。よく分からないので、個々の演劇人が模索しながら作品を発表しているというのが、現状ではないでしょうか。
これは、演劇のみならず日本文化の特徴でもあるような気がします。日本は、種種雑多な価値観に対し、順応能力はすこぶる高い民族である反面、確固たる民族意識やアィデンティティを持ち合わせていない。それゆえに、「なんでもOK」という状態になってしまう。
その民族の特質が、現在の日本の社会問題にまで発展している気がしてなりません。個々人の間でも互いの価値観をぶつける行為を無意識のうちに回避してしまうため、お互いに無関心となってしまう。「まあ、そういう考え方もいいんじゃない。」などと言って、対立や衝突を極力避ける。それならまだしも、ごくたまに自分とは異なる強い価値観をぶつけられると、それに対し真っ向から挑むことはせず、逃げる。逃げ切れなくなると、相手の存在自体を抹消しようとする。気に入らないからという理由だけで、同級生の首をカッターナイフで切り裂いて殺してしまう小学生の事件、そんな悲惨な事件が起こってしまうのも、日本の現状の大きな問題点であるように思います。
では、演劇に何ができるのか。日本の演劇人は混沌の中であえいでいますが、それら日本の文化と教育の問題点を少しでも改善していくために、真摯に必死に取り組んでいることは確かです。
 
4.シェイクスピアとの出会いは、いつどこで、どんなものでしたか?なるべく具体的に教えてください。
 
今振り返ると、人生の要所要所で僕はシェイクスピアに触れてきたように思います。
シェイクスピアと認識してみた最初のお芝居が、俳優座の「お気に召すまま」。これはすこぶる面白い作品に仕上がっており、高校生の僕はいたく感動しました。次に20歳頃に観た同じく俳優座の「ハムレット」。これはすこぶるつまらなかった。なぜ、同じ劇団の同じ演出家なのに、こんなにも差があるの? 
その3年後、文学座でのプロとしての僕の初舞台が、「オセロー」。江守徹さん演出、北村和夫さん主演。僕はせりふが一言もない衛兵の役でしたが、オセロー役の北村さんの台詞を全部覚え、4時間前に楽屋入りして、誰もいない舞台に上がり一人で悦に入ってオセローを演じていました(笑)。
27歳のころ、片岡孝夫さん(現:仁左衛門さん)主演の「ハムレット」に出演。失礼ながら、あまりに商業演劇チックな舞台に「?」の連続でした。『「ハムレット」って、もともとつまらない作品なの?』。以前の俳優座のこともあり、そんなことも考えていた時期でした。にもかかわらず、当時付き合っていた彼女と意見が会わず喧嘩をしたあとなど、「ハムレット」の尼寺の場の台詞を大声でしゃべったりしていた僕は、ちょっと変わっていたかもしれませんね(笑)。
そして30歳のとき、このときから僕のシェイクスピア人生が本格的にスタートします。この年、東京グローブ座がグローブ座カンパニーを立ち上げ、僕はメンバーとして参加することになったからです。そのカンパニー自体は名前を変え現在も存続しており、15年たった今も僕はメンバーとして所属しておりますが、とくに当初の5年間が劇的な時期でした。海外の一流の演出家たちが次々と来日し、最先端のシェイクスピア演出を僕たちに教えてくれたからです。スェーデン王立劇場のベルイマンの愛弟子ペーター・ストロマーレにRSCのジェラルド・マーフィ、同じくRSCのロン・ダニエルズ、カナダの天才演出家ロベール・ルパージュ、音楽界からは巨匠マイケル・ナイマン(ナイマンさんは、ASCの旗揚げ公演のパンフにもコメントを寄せてくださいました)。
目から鱗の連続。僕の人生にとって、最大の収穫ある5年間でした。海外研修よりも意味があったと思います。
 
5.なぜ、シェイクスピアなのですか?なぜシェイクスピア劇団を設立したのですか?また設立時とその後の苦労話を教えてください。
 
シェイクスピアは、現代において絶対に必要な作品です。
シェイクスピアの登場人物は、非常に極端です。「ロミオとジュリエット」のようにあっという間に恋に落ちるかと思えば、「オセロー」のようにハンカチひとつで愛する妻を殺害してしまう。馬鹿じゃないの、と思うくらいに極端でストレート。
これは別の言い方をすれば、あまりにもエネルギッシュであるといえるのではないでしょうか。生きている情熱が、現代人の比ではない。その情熱を身長で換算するならば、われわれ現代人の身長が2メートル足らずだとすれば、シェイクスピアの登場人物たちは、身長10メートルくらい。まるで、恐竜。その恐竜のような情熱溢れる人間たちが、ドッタンバッタンと徹底的に愛し合ったり憎しみあったりする。つまり、個々の価値観をこれでもかとぶつけ合うのです。これこそ、現代においてもっとも必要なことに僕は思えるのです。真のコミュニケート。
4畳半一間で、インターネットさえ繋がっていれば世界中とコミュニケートできると思い込んでいるパソコンオタクの青年のアパートに、恐竜のようなシェイクスピアの主人公やヒロインたちがドシンドシンと足音を立てて行き、そのアパートの屋根を引っぺがし、そのオタク青年をつかみ上げ、「こら、もっと表に出て広場で友達を遊べ!」と一喝し、外に放り投げてしまう。
シェイクスピア作品にはそんな魅力があると、僕には思えてなりません。凝り固まった現代人の魂のストレッチ。シェイクスピアには、他の作家よりも抜きん出て、このような特徴がある。携帯電話や電子メールなどのコミュニケーションツールがあまりに発達してしまった現代において、直接人と人が真っ向から向き合う真のコミュニケーション、その実現にシェイクスピア作品は大きく貢献できるのではないかと僕は思っています。
 
苦労話は、挙げたらきりがありません。劇団を主宰している方に限らず何かの組織の代表をしている方々でしたら、よくお分かりのことばかりです。
先日NHKの番組「プロフェッショナル〜仕事の流儀〜」で、半導体関連のあるベンチャー企業の社長さんがおっしゃってました。「不安の大きさ=夢の大きさ」「リスクをとらなきゃ、人生は退屈だ」。年間100億円を売り上げるその社長さんのリスクの比ではないかもしれませんが、僕もリスクや困難な課題にぶつかればぶつかるほど、それを楽しんでいこうと心がけてきたことが、皆様のご尽力の賜物であることは言うに及ばず、ASC創立10周年を迎えることができた一因かもしれません。
 
6.シェイクスピアを演出したり、出演したりする立場から、その魅力について教えてください。
 
シェイクスピア作品は、人生の「鏡」です。
また、シェイクスピア作品を演じたり演出したりすることは、そのすこぶる精度の高い「鏡」に自分を映し出す試みです。挑戦です。
ハムレット」という作品はどうやら僕にとって特別の作品となっているようで、一人芝居や4人だけでの上演、またさまざまな演出家との仕事など、これまで10公演以上、演出や出演をしています。そして、その公演のたびに僕は年齢を重ねて生きます。
20歳代での「ハムレット」、30歳代、40歳代では、「鏡」に映し出される自分の姿がまったく異なってしまうのです。これが、創り手からみたシェイクスピア作品の大きな魅力でもあります。
そのシェイクスピアの魅力をお話しするとき、僕はこんな例えをよくします。
ハムレット」という作品を上演した。懸命にリハーサルを重ね、初日は大成功。初日パーティでは、関係や全員とてもウレシそうで、満足気。演出を担当した僕も、大満足。上機嫌で、帰宅。しかし、最寄り駅から自宅までの10分間の徒歩の間に、なんだか物足りない気持ちに襲われる。楽しさは半減し、心はもやもや。なぜ? 帰宅すると、どういうわけかもう400年も前になくなったはずのシェイクスピアおじさんが僕の部屋に来ている(これはあくまで、例えばなしですよ)。おまけに、そのおじさんは、天井近くの空中に浮いていて、にこやかに僕に話しかける。以下、シェイクスピアおじさんとの会話。
おじさん「よかったよ。今日、わしも観たけど、今回のハムレットは本当に面白かった!」(と、満面の笑顔で絶賛)
僕「そう?! ありがとう。メンバーのみんなも喜んでくれたし、お客さんも満足してくれた。僕もとても嬉しいんだ。」
おじさん「うん、本当によかった、よかった!」
ここまで会話が終わるのなら、なんら問題はない。だけど、おじさんは、最後にいつもこの言葉を吐く。
おじさん「うん、よかった。わしはそうも書いた。」
『そうも書いた』とはどういうこと? 『そう書いた』なら僕も引っかからないのに、『も』が付くのは何で?
そして僕は気づくのです、その本番公演中に客席で、あるいは千秋楽の何ヶ月か後に。「ああそうだ、この部分を僕の演出では描ききれてなかった」と。終わった後気が付くほうがいい。公演期間中に気が付くと、直したくなる。しかし1箇所修正すれば、芋蔓式に修正箇所は発生し、全部やり直しという結果は眼に見えている。できない。くやしい。「よし、また必ずリベンジ公演をしてやる!」
 
7.シェイクスピア演劇の難しいところは何処ですか?また日本語で演じることについてどんな意見を持っていますか?
 
シェイクスピア作品は、創り手側の態度や人生の経験知などをまったくそのまま反映します。まさに「鏡」。他の作家の作品も名作といわれるものは少なからずそうなのですが、シェイクスピアはダントツだ。それは、創り手側に委ねられている部分がシェイクスピア作品には非常に多いということです。シェイクスピア作品には、作者の視点がない。あったとしても多すぎて一つに絞ることなどできない。よって、創り手側が上演コンセプトに則して取捨選択していかねばならない。現代における上演意義を、いやおうにも考えさせられるのです。
シェイクスピア作品の演出のコツを、僕はこんな風に考えています。
ひとつの作品という原石がある。その原石に、レーザー光線のように鋭く強烈なビームを放射する。そのレーザービームが、現代における上演コンセプトです。すると、そのビームは原石の外壁を通り抜け、ビームに敏感に反応する内部のあるところに到達、その箇所が眩しく光り輝いてくる。内部からのその輝きにより、原石全体の姿が浮き上がってくる。作品のすべての魅力が、コンセプトという核を中心に、立ち上がってくるのです。
ASCで実際の上演をするとき、僕は原作に手を入れます。コンセプトに従って構成しなおす作業です。当然台詞もカットしていく。テキスト・レジーといいます。シェイクスピア作品は、知れば知るほどカットしたくなくなります。断腸の思い。つまり、原作そのままを上演したくなるのです。でもそれでは、美味しい料理を蛍光灯の下で食べるようなもの、魅力的ではないのです。
 
日本語で上演すること。この時点で、すでに敗北です。
原作は、綿密に計算されたブランクバース(無韻詩)などで構成され、ほぼ音楽といえます。イギリスには、「シェイクスピアを聴く」という言葉まであるそうです。「観る」のではなく、「聴く」です。そして言葉が音楽であるからこそ、ひとつの単語で二つ以上の意味を表すダブル・ミーニングなどが可能となってきます。シェイクスピア作品の大きな特徴のひとつです。
英語は、「強弱」の言語。日本語は、基本的に「高低」の言語です。音楽的に変換のしようがない。
しかし、だからこそ面白いのです。日本語は、英語に勝るとも劣らず、美しい。その美しさと制約、そのギャップこそが日本語によるシェイクスピア作品の上演意義のような気がします。そのギャップをどうにか埋めていく努力が、英語上演にも勝る日本語シェイクスピアを創り上げていくのではないでしょうか。
 
8.現代の日本におけるシェイクスピア演劇の意義について、どのように感じていますか?
 
5番目の質問の答えとまったく同様です。
あまりにも多様化してしまっている日本。そこに住むわれわれ日本人が真に他者と対話すること。それ以上の意義はないと、僕は考えています。
また誤解を恐れず申し上げますが、僕は、演劇は「愛」だと考えています。
一晩の公演で、ほんの僅かでも観客に「愛」を受け取ってもらえたとします。その僅かの「愛」は、翌朝まではもつかもしれない。しかしその日のうちに、なにか突発的な事故などが起これば、瞬時に消えてしまうものかもしれません。が、その翌日の夜、また劇場に足を運んでもらえれば、ほんの僅かですがまた手渡すことができるかもしれない。
人間の精神性は動物以下だと、僕はいつも感じています。動物は、他者を殺してしまうとき、殺した獲物に対し感謝しているように思えてなりません。食べるためだからです。無駄なく美しく食べる。生きるために。きちんと遺伝子を後世に残すためです。
それに比べ人間が同士を殺すとき、これは「存在の抹消」です。エゴ以外の何者でもない。邪魔者は、消せ。なんという独善的な考え方、究極の悪です。他者との対話を拒否するということは、相手の存在の抹消、殺人です。
芸術が、そしてその中でも人間と人間が直接深く豊かにかかわりあう演劇という芸術は、全世界において今最も必要とされている芸術ではないかと思います。観客の心の中に日々小さくても「愛」を置き続ける作業、それが僕たち演劇人の使命だと思います。今は動物以下の人間の精神性、そんな人間の遺伝子の中に、「愛」という新しいDNAが確実に根付く日を願い、僕たち演劇人の毎日はあるように思っています。それは何世紀も先のはるか未来かもしれません。きっとそうでしょう。遥か遠くを見つめ、僕たちの日々の訓練はある、といつもASCの若いメンバーに言っています。
自らのエゴのために旅客機を超高層ビルに突っ込ませる、そんなことが現実に起きることなどありえない社会は必ず来るはずだと、僕は信じていきたいと思います。
 
9.演出家と役者を同時にしていますが、その切り替えは大変ではないですか?またなぜ両方をしているのですか?
 
切り替え自体は、そう難しくはありません。
なぜなら、自分の演出コンセプトに従って演じているからです。他の演出家のもとで俳優だけで参加している場合、その演出家のコンセプトをよく理解できないときのほうが辛いです。
両立させることで難しいということならば、切り替えという問題ではなく、時間配分ということのほうがいつも僕を悩ませます。俳優としての僕の時間が、いつも削られ後回しになってしまうからですね。演出は全体を動かしていかねばならず、僕のリードでメンバーが動いてくれる。ということは、リーダーが指示を出すタイミングは、そのあとメンバーがそれに従って動いてくれるまでの準備に要する時間も考慮しなくてはならない。反面、俳優の役づくりという作業は、演出に比べれば個人的なものです。個人的なものだからこそ、睡眠時間などを削れば時間を作ることができるとつい思ってしまう。気が付くと、時間がない。悪循環ですね(笑)。
それでは、なぜASCでは両方をやっているのか。
この10年間の中で、ちょうど5年目前後は演出のみに専念した時期もありました。その理由は、俳優としての時間が充分に取れていないのに観客の前に立つのは失礼だと思ったからです。が、しばらくして思い直しました。不遜な言い方になるかもしれませんが、僕の演出で僕が見出したコンセプトで上演を行う以上、俳優である僕自身がそれを一番体現できるからではないかと感じたためです。それは観客に対してのみならず、リハーサル中のほかの出演者に対してもいいのではないかと思ったからです。言葉でいくら説明してもあまり理解してもらえなかったことが、僕がやってみせればすぐに腑に落ちる。これは、早い。よりよい作品創りを目指すとき、限られた時間の中で、そのほうが全体的には合理的ではないかと思いました。僕個人では、俳優作業のためやはり睡眠時間などプライベートな時間が大きく削られ、自分の首を絞める結果となっています(笑)。今では、その時間配分にもコツを覚え、以前のように不十分な稽古時間で、自己嫌悪に陥ることもなくなりました。
俳優が演出をするメリットは、実際に演じて見せる事ができる、それに尽きるかもしれませんね。百聞は一見にしかず、です。
 
10.ASCの10年間を振り返って、感想なり、反省なり、その他、何か感慨はありますか?そして今後はどのようにASCをしようと考えていますか?
 
創立10周年、あらゆる方々に、そして演劇の神様に対して、感謝の一念に尽きます。本当にありがとうございます。
劇団は旗揚げすることに比べ、旗を降ろし解散することのほうがはるかに難しい。それは、歴史を重ねれば重ねるほど、観客の皆さんは言うに及ばず、あらゆる方々にご尽力をいただいているからです。そのような方々に、そして観客の皆様に少しでも恩返しする方法が、よりよい作品を全力で上演し続けることだということを、今年10周年を迎えるにあたり、強く強く実感しています。
また、どのような組織も例外なく、10年という歳月はいろいろな問題を抱え込んでいるものだと思います。10周年はおめでたいこと、しかし反面、将来をきちんと見据えていかなければ解散の危機にも瀕していくということのように思います。
ASCは今、10周年を迎え抜本的改革の時期にさしかかっています。抜本的改革と人間の尊厳、これは次回公演である創立10周年記念公演シリーズ第3弾「ジュリアス・シーザー」の演出コンセプトでもありますが、ASCという組織も同様に、この問題に対して真摯に考え続けていきたいと思っています。
ASCは、僕が生きている限り、絶対に解散はしません。
 
11.ASC以外での活動を教えてください。
 
先にも申し上げました15年来の付き合いになる元グローブ座カンパニーのメンバーとの仕事をはじめ、ここ5年ほどは、外部の舞台やオペラの演出などをやらせていただいております。オペラは6本ほどやりましたが、そのうち4本はプッチーニの作品です。ちなみにプッチーニ作品で僕が一番好きなのは、やはり「蝶々夫人」です。
また最近では、講演やワークショップの講師、演劇学校の講師の仕事も増えてきました。とくに今年は、生まれ故郷の鳥取県でのワークショップなどの指導の仕事がとても増え、上京して27年、やっと地元に少しだけ恩返しができるのではないかと嬉しく思っています。現在も鳥取県の事業「鳥取県総合芸術文化祭」のひとつ、新作演劇「不届千萬忠臣蔵」出演と演技指導のため、11月中旬の本番を目指し40日間米子市に缶詰となりリハーサル中です。
また、俳優の外部での仕事のひとつとして、アニメや外画(洋画)の吹き替えなどもやっています。この仕事は、舞台とはまた違う面白さがあり魅力的です。