マルセ太郎さん。


 
マルセ太郎という芸人さん、
10年前に残念ながらお亡くなりになりましたが、
素晴らしい方でした。
マルセさんの一人語り「スクリーンのない映画館」は絶品。
邦画・洋画を問わず映画一本を、独特の語り口で再現してしまうのです。
ASCの1998〜2001年
“ONLY ONE シェイクスピア 37”シリーズを上演の時、
とても大きな影響を受け、大いに勉強させていただきました。
http://homepage2.nifty.com/asc_web/asctoha/asctoha_series.html
http://homepage2.nifty.com/asc_web/jobs/no12_onlyonevol1.htm
 
先日、“あやのぎ塾”のレッスン後、
塾生の日野聡子と話をしていた時、
日野がこの1週間で見た映画DVD3本の話をしてくれた。
うち1本を僕が全く知らなかったので、
ストーリーを日野が語ってくれた。
面白かった。
聞き終わった後、1本の映画を見たときのような心地よい充足感。
(ちなみに日野は、その映画をあまりお気に召さなかったらしい。それも不思議。)
そのとき、マルセさんを思い出した。
 
マルセさんは、2001年に亡くなった。
マルセさんは、一度だけASCの公演に来て下さった。
懐かしの銀座みゆき館劇場。
確か2000年のはず。
マルセさんの芸に感激した僕は公演に招待させてもらい、
それに応えてくださった。
肝臓がんとの闘病中で、みゆき館の客席に座っておられる
日に焼けたような氏のお顔を鮮明に思い出す。
本当にありがとうございました。
 
マルセさんが生前中学生に向けて書かれた文章を
あるお医者さんがブログにアップしてくれていました。
ここにご紹介します。
http://blog.m3.com/turedure/20070124/Be_
 
語る。
人に語るということ。
その大切さをあらためて考えました。
 
マルセ太郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございました。
 

【Be動詞への自信】
マルセ太郎
  
 
僕は1933年生まれですから、中学生になったのは敗戦の翌年でした。生まれ育ったのは大阪です。戦争による焼け跡の中、食べ物に不自由していた頃でしたが、それでも中学生になった喜びがありました。電車で通学するため、定期券を持つのがえらくうれしかったのを憶えています。科目別に先生が変わることや、小学校ではクラスを、一組、二組と言っていたのが、A組、B組という、つまらないことまで、何か未知の世界が広がっていくように思えたものです。中でも英語が習えることに、わくわくする期待感がありました。しかしこの期待感はすぐに挫折しました。やはり難しかったのです。
 
僕らは単純に、英語の単語さえ覚えれば、それをそのまま日本語とおきかえて、英語ができるものと思い込んでいたのです。君達もそうでしたか。ところが知っての通り、そうはいきません。主語が変わると、アムとか、アーとか、イズという、つまり「Be動詞」が変化することや、他にもややこしいことが多くでてきます。どうして、アムならアムだけで統一しないのか。僕たちを勉強させるため、わざと面倒にしているのではないかと思ったほどです。
 
Be動詞というのは何なのでしょう。僕らは英文のamの下に、「です」と仮名をふって日本語に訳していました。いまでも「です」と教えられているのですか。大人になってから考えました。あれを「です」と教えてはいけないのです。大切なことは、Be動詞を、日本語にはないのだということを、まず教えるべきです。
 
ではBe動詞とは何か。「存在」なのです。アイアム。私は存在している、ということです。有名なシェイクスピアの劇、「ハムレット」に出てくる台詞があります。To be or not to be、生きるべきか、死ぬべきか。to beで生きることを意味しています。つまり存在することが生きることなのです。
 
話しを急転回します。よくみなさんは、自信をもて、と教えられませんか。先生も親も、上に立つ人は、なにかというと自信をもてとあおります。もしかしてみなさんも、自信をもつことが正しいものと、受け入れているのではありませんか。自信て何でしょう。僕は嫌いです。むしろ害悪だとさえ思っています。なぜなら、それは他と比較する上で成り立っているからです。彼には負けない自信がある。この中では一番になる自信があるとか、すべて競争の論理で成り立っています。
 
それでは自信は必要ないのか。そんなことはありません。生きるため大いに必要なことです。そこで言いたいことは、「Be動詞」への自信を持つという事です。アイアム。アムへの自信です。私は存在しているのだ、ということの自信です。ユーアー。あなたは存在している。ヒーイズ。かれは存在している。ここに優劣の比較はありません。