しゃべりすぎだ、っちゅうの。


 
昨日のスローガンは、「端的に」「シンプルに」「聴く」。
聴けていないから、やることが複雑にうるさくなる。
そうツイッターにも書いた。
 
では、検証。
実際に目標達成はなったのか?
昨日は一日中“あやのぎ塾”のレッスンだった。
 
しゃべりすぎだ。
注意しててもやはり言葉が多い。
注意してなかった以前は、おそらく無駄な言葉の嵐だったことだろう。
自分が喋りたいことで頭がいっぱいになり、
思考の指向は超内向き、
脳味噌の急性オタク化症候群。
 
つまりしゃべりたいことを考えることで
脳はフル稼働してしまい、
目の前でいま起こっていることを感知しきれない。
聴けていない。見えていない。
勝手にしゃべっているだけ。
自分に酔っているトランス状態。
 
稽古中、演出をしていて陥る罠の一つに、
演出者の頭の中だけで作品が成立してしまい、
実際の出演者たちの演技が理想の形になっているかどうか、
その判断を見誤ることがある。
目の前ではまだそうなっていないのに、
演出者の目は、脳内の自分のビジョンを見ているのだ。 
 
しゃべりすぎるときにも同じことが起こる。
しゃべりすぎてちゃんと見ていなかったために、
何年間も誤解し続けることがある。
7年間誤解していたことが、昨日判明。
愕然とした。
 
ちゃんと「聴く」のに7年かかった。
正確に事実をつかんだことにより、
これまでの一連の疑問点の多くが一気に解消した。
また、なんと多くの徒労があったことか。
自分の思い込みにより、
一番最初の事実認識が違っているのだから、
その後の対応と行動は、的外れになるのは当然。
7年越しの熱演。
自分にあきれた。
 
伝えたいという思いが強いとしゃべりすぎる。
その伝える情熱は、今のままでいい。
が、言葉の量を減らせ。
そのために、言葉を昇華しろ。
眼の前の人の心の中で起こっていることに、
最大限集中しろ。
たくさんしゃべるのは、それができてからだ。
シェイクスピアの真似は、まだ10年早い。
 
7年越しに分かったことはショックだったが、
でも気持ちがよかった。
素直に反省できる。
自分の心の風通しがきっとよくなる。
目の前の人を大切にしたい。