僕、守ったよ。被災地の福島県白河市に向かう。


 
明日、僕を除いた家族全員が福島県白河市に車で向かうことになった。
白河市に義父の主宰するバレエスタジオがあるためだ。
ちなみに義父は、白河に住んでいるのではない。川崎で同居している。
つまり、30年以上毎週通っているわけだ。
で、震災後のレッスン再開の初日が明日。
動物もいるので、僕だけが川崎で留守番。
 
8歳長女と6歳長男は、川崎でも別のバレエスタジオに通っている。
そして毎週末は、白河でも義父や妻の鈴木麻矢を先生に、
白河の子どもたちと一緒にレッスンに汗を流している。発表会にも出てる。
(3歳の次女は例外、バレエにはいまひとつ興味がないらしい。
 いつもスタジオ内で遊んでいる・・・)
 
★★★★★★★
   
震災は、3月11日の金曜日だった。
もしあと20分地震発生が遅れていたら、妻と子どもたち3人はJR南武線に乗っていた。
そしてもしあと1時間半遅れていたら、東北新幹線に乗っていた。
まだ春休み前で小学校や幼稚園があったので、
その後母親と白河に向かう予定になっていた。
義父は2日前に、すでに車で白河に行っていた。
つまり、義父は白河で地震に遭遇。
川崎に帰ることができなくなり、何とか戻ったのは16日の早朝、
普段なら高速で3時間足らずを8時間かけて一般道で帰ってきた。
長男の卒園式当日の朝だった。
また僕はといえば、地震の時、墨田区のtptのアトリエにいた。
電話は一向につながらず、隅田川から多摩川へと歩いて東京都を横断した。
     
地震発生直前、僕のいない川崎の自宅では、
長男と次女を家に置き、妻は長女を迎えに自転車で小学校近くまで。
長女を自転車後部に乗せて帰宅途中に地震発生。
6歳の子と3歳の子が、家で二人っきり、あの揺れを経験した。
妻が青ざめて帰宅した時、
二人は居間の低いテーブルの下に潜り込んでいた、とのこと。
恐がって凍り付いていたのは、3歳ではなく6歳だったよう。
「僕、ゆうちゃん(3歳)を守ったよ」
  
★★★★★★★
   
白河のレッスン再開は、早くても来週か、と僕は思っていた。
白河はライフラインがなんとか復旧したばかり、
もちろん崩壊した家も多々あり、
それにガソリン不足で生徒さんがスタジオに来られない、だろうと。
が、一昨日父母の会の会長さんのママさんから電話が入り、
みんなうずうずしてるからぜひ今週(水曜)からレッスンを、ということだった。
 
そこでもちろん義父はいくことに。
問題は、うちの3人の子どもたちだ。
春休みだから、義父と一緒に水曜日(明日)に車で行ける。
どうする? 行かせるか? わざわざ被災地に?
バレエのレッスンのために?
  
人体には影響ないレベルということだが、
放射能が気にならないと言えば嘘になる。
(大人はともかく子どもたちにとって)
が、行かせないと
白河の子どもたちや親御さんに対して、
なんだかとても後ろめたい感じがする。
「自分たちばかりが安全圏。」
  
また川崎では今週末の土曜日、
卒園生30人程とその兄弟、ママさんたちの集まりで、近所でお花見もある。
白河に行けば、うちの子どもらはそれにも参加できなくなる。
どうするかな?
とりあえず、子どもたちに聞いてみる。
行きたいか、行きたくないか。
  
妻「どうする? 白河行く? お花見はいけなくなるよ?
  食べるものもそんなにないかもしれないし。」
  
8歳と6歳「うん、行く。白河のみんなに会いたい!」
  
何の迷いもなく即答だった。
パパとママは、なんだか嬉しかった。
白河の子どもたちと一緒に、元気に遊んでほしい。
(いや、バレエのレッスンだった)
  
ところで昨夜、
6歳長男がうなされた、寝ぼけて起き上がり叫んだ。
「早く入って!」
どうやら地震の時の夢を見ているらしい。
3歳の子をテーブル下に誘導しているようだ。
「ふせて!」
と叫ぶや否や、息子は実際に勢いよく伏せた。
下には妻の顔面が。
息子の頭突きが妻の鼻にヒット。
妻、うめく。息子は、そのまま寝た。
   
震災後、子どもたちの行動に変化が現れているとのこと。
確かにハグを要求してくる回数が増えている。
今はできるだけ抱きしめてやるしかない。