「元気」よりも「電気」だ。

作家田中浩司さんのブログ
『お耳の恋人ハートのジェイの王様の耳はロバの耳』
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3/18記事「ふつうに」
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3/21記事「春の足音がしたので」
   
未曾有の大震災、
演劇人として何をすべきか、どう考えるべきか。
日本の演劇界のリーダーたちの意見や行動を見ていて、
どうも違和感を感じてしまう。
上演決行する人たちのことだ。
上演決行の理由が、どうにも気持ち悪い。
その気持ち悪さを払しょくしてくれたのが、先の田中さんのブログ。
田中さんが見事に論破してくれたので、僕は思いつくまま書きます。
アットランダムになりそうですが、お許しを。 
    
まず初めに。
上演を決行すると宣したのはその座組みの責任者だと思うが、
宣する前にその座組みの出演者やスタッフ・関係者一同は、
プロ野球選手会のように、各人一演劇人として喧々諤々やっただろうか?
その声が聞きたい。
責任者だけの個人の思いを吐露するような意思表明は、
何ともファシズムっぽくて気持ちが悪い。
   
では本題。
「劇場の灯を消してはいけない」「蝋燭1本でも演劇はできる」
というなら、蝋燭1本でやってほしい。
震災前と同じ演出プラン・照明プランでやるつもりなのだろうか。
少なくとも節電震災バージョンでなければ。
  
「震災当日はがらがらの客席だったが、役者はいい芝居をしていた」
上演続行の挨拶でそんなこと言って何の意味があるのだろうか。
「節電が大切だ」といい、
「自分へのスポットライトやロビーの明かりは消し、義援金の箱を置いて自分も募金した」
言い訳めいた自慢話か。
   
本当に節電するなら、上演しないことだ。
どうしても上演するなら、そして実際はさほど節電できないなら、
最低でもその電気代相当の義援金を被災地に送るべきだ。
極論かもしれないが、要はそういうことだ。
観劇料の一部分をチャリティにする程度で、使った電気代をまかなえるのか。
きちんと試算すべきだし、
それに第一、チャリティの名のもと、
観客を勝手に電気の無駄遣いの共犯者にしている感もある。
    
「辛いことはあるけど、3時間の間忘れて楽しんで」
被災者の人を前に、同じことを言えるだろうか。
   
戦時中のことがよく例に出されるようだが、
これは戦争じゃない。
戦争は人災だ。
人が人の尊厳を冒すことだ。
その時には、絶対に演劇の灯を消してはならない。
命の尊さ、生きることの素晴らしさを訴え続けることが
演劇の使命であることは自明の理。
でも震災は、天災だ。
一緒くたにしていいものではない。
  
「東京を元気にしないと東北の人を支援できない」
「いや、電車もまともに動かないんだから東京だって被災地だ」
「だから、東京の人を元気にしたい」
 
普通に考えて、
まず元気になってもらいたいのは、被災地の人たちだ。
   
「一人でも観客がいれば、私たちはやる。」
   
こういうあたりまえのことは、平常時に言ってください。
いま言うときじゃない。
なんだかかっこ悪い。
   
結局なんやかんや理屈をつけても
上演したいのは当の演劇人なんだと思う。
元気になりたいのは、当の本人たちだ。
  
にもかかわらず、なぜそれを正直に言えないのだろう。
「自分たちのためにやらせて」
そういって上演してくれたほうがはるかに気持ちがいい。
なぜ詭弁めいたことを言うのか。
それはつまり、演劇は無力、ということを認めたくないからだと思う。
  
演劇は、芸術の中でも「今」に特化したジャンル。
「今」「ここで」ということが、演劇の命だ。
そして今現在、演劇がどんな「今」を「どこで」提示できるのか。
できるものはない。被災地では到底できない。
 
「今」以外でも人々に効力を発揮する別ジャンルの芸術について。
たとえば絵画においてのたとえ話をする、
ゴッホの「ひまわり」を被災地に持って行ったとして、
どんな意味があるだろう? ないでしょ。
暖かい味噌汁一杯のほうがよほど被災地の人を元気にする。
たとえ話が突飛すぎるかもしれないけど、
上演決行のスピーチは、僕にとってそれ以上に不自然さを感じさせる。
 
楽家や歌手の人たちでさえ、いまはなのもできないと言っているのに、
「今」しか目玉がなくて、
その「今」に見合った商品を提供することができない演劇だけが、
なんで変に悪あがきしているのか。
 
演劇は今、無力!
演劇人は、全員でそれを思い知るべきだ。
今は、その時間なのではないだろうか。
それが演劇人としての「今」だと思う。良心だと思う。
  
今無力である、と思い知ったうえで、近い将来、
演劇が最大限の効力を発揮できる次なる「今」のために、
力を蓄える時間なのだ。
今は、じっとしていればいい。
それだけで、節電になる。
   
日本演劇界を牽引している公立劇場の芸術監督なら、
「劇場の灯を消してはいけない」なんて寒い小理屈を言わず、
「全劇場よ、節電のため上演中止にしたまえ!」くらい言ってほしい。
そのほうがどれだけすっきり伝わるか。
そのほうが、本当に寒い被災地の人たちがいくらかでも温まる。
「南」は暖かいはずでしょ。
(東京で節電すれば、その分被災地に電気が復興するなどと短絡して考えているわけではありません、念のため。)
 
プロ野球ナイター開幕、どう考えてもおかしいと思う。
ディゲームにするとか、東京ドームでそれが無理なら、
多摩川の河川敷でやるくらいの気概がほしい。
観客の安全面など考えるとどだい無理な話は承知の上での極論だが、
要はそういうことだ。
無駄な電気を使うな。
演劇界の上演続行宣言に対する一般の人が感じる違和感も、
おそらくプロ野球ナイター開幕のそれとなんら変わらない。
だれもが日常生活での楽しみにしている居酒屋などとは違うはずだ。
居酒屋が営業していると安心するのは、僕だけではないだろう。
演劇もプロ野球も、居酒屋ほど一般的ではない。
 
どうしてもじっとしていられない人(僕もその口だ)は、
自分のためにやっている、と正直に言おう。
それに、だれにでも自分の生活がある、
言うのは恥ずかしいことではないと思う。
  
★★★★★★★
  
とにかく、
「今」必要なのは、
うさんくさい「元気」よりも
リアルな「電気」だ。
  
★★★★★★★
 
追記:
初めてみた新劇は、中学2年の時の俳優座どん底」。
仲代達矢さん主演。
幕切れのセリフは忘れられない。
その15年ほどのち、無名塾に出演させてもらった。
震災当日が「炎の人」東京初日、
東京公演打ち止めの仲代さんの言葉に感じ入った。
仲代さんはやっぱりかっこいい。
http://www.mumeijuku.net/kouen.html