秋山!!〜鳥取「ロミオとジュリエット」〜

なんということだ、名前を考えているどころではないではないか!
というのは、秋山のお父さんからメールをいただいた。僕のブログをご覧になり、ご子息祐司君が再び鳥取にて高校生たちと公演を企画していることについてだった。http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/20100428 お怒りなのだ。なぜ?内容を読んで理解した。そして何度かその件でお父さんと今やり取りしている。
つまりは、昨年の鳥取ハムレット」の後始末が何もできていないのだ。多大なるご協力をいただいた彼のご両親はじめ関係諸氏に対してのご報告をはじめ、経費に関することなど金銭的なことも含めた具体的な残務整理がいまだできていない。いやお父さんのご意見からは、やろうとさえしていないと判断せざるを得ない。僕自身、驚くべき新事実を知ることになった。秋山は僕にウソをついていたのだ。
秋山の人の良さから、周囲の人たちに心配をかけないで何から何まで自分一人でやろうとしたのではないか、とも受け取れる。が反面彼の悪いくせで、やろうとはしたが手に負えなくなり月日の経過とともに放置してやり過ごそうとしたとも感じられる。責任感が強いから大きなことを引き受けたりやろうとするが、反面自己顕示欲も強くカッコをつけたがるので、できないものは隠し見ないようにして逃げる癖が確かにある。演技を見れば一目瞭然、すでにお客さんにもばれてはいるが、本人は隠してるつもりだからよくない。反省がない。
きちんとした報告や連絡をお父さんのもとへずっと入れていなかったらしい。そこへ来て次回鳥取ロミオとジュリエット」上演を秋山が企てていると知ったお父さん、お怒りなのは無理もない。 
 
偽り隠しごまかし辻褄合わせをしやり過ごしてきたこと、些細なことでもそんな風にして月日がたっていくと、ある日とんでもなく大問題となって自分の目の前に出現する。ほとんど怪獣現る、ってな感じだ。だがその怪獣は、自分の心が造り出したもの(ゴジラの公害怪獣「ヘドラ」と同じ)。倒すのも自分の力、ゴジラウルトラマンも来てはくれない。
  
「自業自得」という言葉がある。〔仏教で〕すべての不結果は、以前に自分が行った良くない行為の報いに基づくとする考え方。悪い行いの報いは自分で受けろ、という考え方らしい。あまりいい意味ではないが、漢字をよく見るとそんなに悪い印象がしないのはぼくだけ?自業は己の業、が自得とはそれで自分が得をするというふうに解釈してみるとこんなふうに読めなくもない。「自分の悪い行いを受け入れ克服しようと努めれば、人生においては自らが得をする」。ほっ、いい言葉ではないか。
 
「自業」と「自得」の間には大切なことが隠されている。おそらく「努力」だ。またその二つの言葉の間にあるものこそ、「人生」と言ってもいいかもしれない。
 
ごまかし偽ってきた日常の積み重ねからの大きな過ちと、自分の全人生をかけても成し遂げたい理想。この両者の間にあることは何か。おそらく「自業「自得」と同じだ。そしてそのギャップを何とか埋める作業をすることを「創造活動」というのかもしれない。
 
今日の時点では、本年夏の鳥取ロミオとジュリエット」の実現は不可能かもしれない。周囲の協力を得られなければ、秋山にとって大きな、そして恐ろしくムダな挫折感を味わうためだけに上演することになってしまう。あまりにも無意味。さらに巻き添えにされた高校生たちは悲惨な被害者となってしまう。無責任な大人に翻弄され、無責任な大人になってしまうではないか。
 
さあ秋山、どんな創造活動を君はやるのだ?!
このバカタレ!