テーマの提案。〜「ムダ話の会。」vol.6〜

テーマ1
「自分にとってと他人にとっての“あたりまえ”、その違い・ギャップをどう埋めるか。それとも埋める必要はないのか。」
テーマ2
「無自覚に“あたりまえ”ができないときは、どうする?」
 
日野ブログ
http://d.hatena.ne.jp/satokohino/comment?date=20100101#c
 
“あたりまえ”のことができないときの状態に、言い訳(自己正当化)と照れ(羞恥心)があるんじゃないかということがあったけど、もうひとつ、自分では無自覚に“あたりまえ”をやっていないときもあることに気がついた。つまり、他人から指摘されなきゃほぼ永久的に非常識のまま放置されてしまうようなこと。
ほとんどが些細なことだけど、その積み重ねで結局信用をなくしてしまっていることも多いのでは?
 
蛇足。
“あたりまえ”をやるときのレスポンスの良さ(早さ・速さ)も、とっても大事な要素だと最近実感する。“あたりまえ”をやるときは、できるだけ早い(速い)ほうがいい。そうすれば、言い訳や照れどもは邪魔に入ってきにくくなる。遅れると、“あたりまえ”そのものがまったくやれなくなったりする。