あたりまえを教え育む。

あけましておめでとうございます!
 
年頭にあたり、最近よく考えていることを書きたいと思います。
題して、「あたりまえを教え育む」。
また、このブログに新しいカテゴリー【演劇教育】(上記)を追加しました。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

あたりまえを教え育む。 〜2010年初頭に思うこと〜
 
あたりまえをやろう。
最近よく思っていることです。
 
あたりまえとは、逆がないこと。
つまり、やらないほうがいい、ということはあり得ないこと。
たとえば、挨拶だったり、家族と朝食を摂ることだったり、ありがとうとお礼を言うことだったり。
あたりまえをすると生きる勇気や生命力が生まれ、将来的な不安が減ります。
あたりまえの実践を日常生活で心がけることは、現代においてとても大切なように思います。忙しすぎると、口実をもうけてあたりまえをしなくなるからです。
 
子どもたちは、なにかと言うと「だって」を連発します。自分の行動に対しての正当性を強烈に主張します。子どもなりに、理由がきちんとあるのです。ただしその理由は、自己本位のものが少なくありません。
そうした行為は、子どもたちだけでしょうか。実は無自覚のうちに、大人の方がやってしまってはいませんか。「だって、仕方ないじゃないか」とよくつぶやいてはいませんか。
 
自分には正当性がある、という考え方自体は悪いわけではありません。それは、人間としての誇りにも通じています。また保身は、動物の自己防衛本能。身を守るために必要です。
が反面、過剰な自己正当化は害悪です。
私たち人間は、つい自分は正しいと思いがちです。子どもに限らず大人たちもまず口をついて出てくるのは、「だって」という言葉。この言葉は、きっと遺伝子に組み込まれているのでしょう。
 
人として生きるためには、良いことと悪いことの判断は必要です。そして、良いことを生きていく上でのあたりまえとしたい。矛盾してしまうようないい方ですが、「いいも悪いもない、それはあたりまえだ」という感覚に無意識になること、あたりまえが習慣となることがとても大切なのではないでしょうか。 
「だって」を連発する子ども時代に、人として大事なことを
 
「あたりまえと思う」ことを教え、
「あたりまえに実行する」心を育むことが、
 
私たち大人の役割ではないかと、最近本当によく考えます。
これからの自分の演劇人生、微力ながら
すべての子どもたちに、あたりまえを教え育みたいと思っています。
そのためには、まず自分自身が日頃からあたりまえをやろう。頑張ります。
   
2010年1月元旦 
アカデミック・シェイクスピア・カンパニー(ASC)/“あやのぎ塾”塾長 
彩 乃 木 崇 之