第5回「ムダ話の会。」名言報告。

回を重ねるたび名称に反比例しどんどん奥深くなる「ムダ話の会。」。今回とても印象に残った言葉は次のもの。
 
テーマ:「人を励ます3つの条件」
ひとつの回答:
『感動してもらう』
『強烈に相手に集中する』
『自分が無力であることを知る』
 
笑わせることも含め、まずは励ます相手の心を動かすようつとめる。それには感動が一番。相手の悩みに即したことをする必要はない。自分にとって相手が必要な存在であることを伝えればいい。「君が悲しいと、僕はもっと悲しい」
 
そして相手の存在に集中する。つまり、「誰がなんと言おうと、君は確実にここにいる。君の悩みは本当には理解できない。だけど、君が僕の目の前に敢然と存在していることだけは僕が証明できる!」という態度。相手の尊厳を第一義におく。
 
これだけで100%人を励ますことなどできはしない。他者の問題をすべて理解することなどは不可能だ。どんなに似ていても人格は違う、感性は違う。励ます相手の意志なくしては、本当の解決には向かわない。相手にとってよりよい人生となるわけがない。つまり、励ますためにどんなに努力しても、まったくの無力を思い知らされる場合がある。そのことを肝に銘じておくことが大切。「無力を知った上で、全力を尽くす」。オクシモロン的だ。
 
人を励ますときやってはいけないこと、やると大きなリスクを負ってしまうこと、それは相手の悩みに対して感情移入することで理解しようとすることだ。人は絶対に同一化できない、そのことを肝に銘じておくことがなにより必要。偽善を避けることだ。
 
このテーマの回答は、僕の挙げたテーマともリンクしている回答となった。
テーマ:
「“芸術行為”で飯を食う方法、演劇の場合。」
「そもそも演劇人は、芸術のプロフェッショナルなのか?」
「やりたいことと、やらなきゃいけないことの間、そのギャップは埋めるもの? それともほっとくもの? あまり気にしないもの?」
 
つまり、演劇芸術における「芸術行為」とはなにか、という問いに対するひとつの示唆。「芸術行為」とは他者(観客)に集中し、感動を共有するもの。が反面、芸術の果たす役割はときとして無力に等しいと思い知らされる。無力を知った上で全力を尽くすことこそが、演技か。そして、人を励まし続けることが芸術の至上使命とするなら、演劇人にできることはただひとつ、演劇活動をやめないことだ。 
 
演劇活動とは、“あたり前のこと“を全力でやることにより感動を呼び覚ます行為、その連続運動だと最近とくに思う。