ASCの存在意義 〜シェイクスピア祭の記事より〜

早稲田演劇博物館主催“シェイクスピア祭 2008”
演題「スーパーヒーロー シェイクスピア!!」
http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/20080420

 
 
この早稲田の機関誌に、4月23日のシェイクスピア祭のことが記事になって掲載されました。
 

でもって、これがその記事の画像です。記事詳細は以下。
 
演博だより
●二〇〇八年度前期演劇講座報告
 
シェイクスピア祭 四月二三日(水)「スーパーヒーロー・シェイクスピア」講師=彩乃木崇之(アカデミック・シェイクスピア・カンパニー代表)聞き手=日野聡子(アカデミック・シェイクスピア・カンパニー)6号館318教室
 
 四月二三日はシェイクスピア生誕444周年、かつ没後392年。本年度のシェイクスピア祭はまさにこの四月二三日の開催となった。講師の彩乃木崇之氏がアカデミック・シェイクスピア・カンパニーを創設したのは一九九六年四月二三日。シェイクスピア全作品をひとり芝居として上演する「ONLY ONE シェイクスピア37」シリーズや、「四人の俳優で四大悲劇」を演じる試みなど、超人的な企画を次々と成功させてきた《スーパー》な演劇人だ。
 講演の軸として、聞き手役の日野聡子氏から、日頃稽古場で耳にしている彩乃木氏の言行録よりいくつかのキーワードが示された。「熱く語れ、とことん話せ」「言葉にできないものはない」など、それらのキーワードから伝わってくるのは《言葉》へのこだわりだ。演出家は俳優を共感させねばならない。そのためには自分のヴィジョンを伝える必要があるが、言葉は万能ではない……この問題を彩乃木氏は「とにかく語る」ことで解決するという。「言葉に不可能があるからこそ、可能な限りを言葉にする必要がある。その努力によって伝わることがある」と。俳優は劇団に入る際に「なぜ今があるか、なぜここにいるか?」(?To be,or not to be?の変奏か?)について作文を書かねばならないそうだ。
 彩乃木氏は語る。「《伝えたい》という意思の強さは、語彙やリズムの創意工夫、それに言葉の絶対量と結びついてゆく。そう、シェイクスピアの豊かで饒舌な言葉は、伝達の意思そのものだ。人間関係が希薄になった現代人に、シェイクスピアはコミュニケーションのあり方を教えてくれる」。
 さらに「そもそも、シェイクスピアの戯曲自体が、演出家や俳優にテクストとの深いかかわりを要求する。普通、劇作家には作者の視点があるが、シェイクスピアにはそれがない、あるいはありすぎて、こちらが選択しなければならない。他の作家の作品が、いわば《作者の影に隠れる》ことを許容するのに対し、シェイクスピアの場合は作品が作り手、演じ手を前面に押し出すので、自分自身の人間的な経験値が表に出てしまう」。
 言葉、言葉、言葉・・・・・・なるほど、《言葉》の媒介を経てシェイクスピアと深い人間関係を持つこと、それが彩乃木シェイクスピアの核なのか!
 幾度となくテクストと真摯に対峙するという「アカデミック」なアプローチで、日本におけるシェイクスピア上演の前線(アヴァンギャルド)を前へ前へと進めてきた彩乃木氏。そのきらめく情熱を通して、言葉で語りつくせないシェイクスピアの魅力を再確認させられた講演だった。
(上田洋子)
 
 
「スーパーヒーロー・シェイクスピア」と題したこの講演、
気負ったあまりにしゃべりすぎ、少々からまわり。
小田島恒志さんやほかの方々に後日慰めていただいた(苦笑)。

早稲田シェイクスピア祭・・・完全敗北!
http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/20080424

 
にもかかわらず、講演の模様を実に見事に上田さんがまとめてくださった。
講演の要点のみならず、これまでのASCの活動意義までを包括してくださった。
大感謝!
 
シェイクスピア祭でお世話になり、
また今回サイトへの記事掲載を快諾してくださった早稲田大学演劇博物館さま、
ご担当くださった宮地由さま、記事をまとめてくださった上田洋子さま、
あらためてここにお礼申し上げます。
ありがとうございました!
 
彩乃木崇之