演出コンセプト

以下は、次回公演“4人の俳優で四大悲劇を”シリーズ決定版「オセロー」の
チラシに掲載する僕のコメントです。
相変わらずちょっと長いですが、是非読んでください。
 
 
愛に潜む緑の危険。信じることの破滅。
アカデミック・シェイクスピア・カンパニー(ASC)代表 彩乃木崇之
  
「愛し方の迷路」「自信と劣等感」「意識としての悪意と、無意識の悪意」「信じることの破滅」
「不器用さの持つ残酷性」
これが今回の演出にあたり、はじき出したキーワード。
「オセロー」にはオセローとデズデモーナ、イアーゴーとエミリアという、2組の夫婦が登場する。
男達2人は、それぞれの妻を心から愛している、そして女達も、きちんとその愛情を感受している。
にもかかわらず、そこに悲劇が起きる。「男と女が持つ、愛の危険」
  
『不器用さの持つ残酷性』
愛し合っている2組の夫婦。それなのになぜ悲劇が起こるのか。なぜ女達は結局愛する夫の手にかかり、殺されなくてはならないのか。
 
『愛し方の迷路』
男達の愛し方、そこに確実に間違いがある。女を心から愛しているにもかかわらず、愛し方が全く間違っている。
よって、その愛を信じている女達は、破滅していかざるを得なくなる。
登場人物それぞれに真実の愛は存在するのに、真実の愛の形は、ない。
 
『自信と劣等感』
この2つの感情の相関関係は、いまさら言うまでもない。
自信と劣等感を両極に大きく揺れる心の振り子。
すでに制御不能になってしまったオセローとイアーゴーの心の振り子は、ただ破滅へと突き進む。
 
『意識としての悪意と、無意識の悪意』
嫉妬という緑色の目をした怪物。オセローとイアーゴーは、その餌食となる。
イアーゴーの意識的な悪意は、当初それほど深いものではなかった。しかし、
心の底の無意識の悪意がそれを見事に成熟させていく。
彼は、自分の奥深くに眠る悪の才能に嬉々として目覚め、かつ、
それに恐怖を感じながらも制御することはできない。
 
『信じることの破滅』
女性は、男を信じることで破滅してしまうことがある。
女性は、「生む性」。
実際に生む、生まないに関わらず、女性は本来自分の体に、生む性としての“ドラマ”を内在させている。
それに比べ、男は“ドラマ”を創り出していかねばならない。
情熱的な女性は、男に“ドラマ”を求め、そんな“男のドラマ”を所有したいと望む。
では、男が理想としてとらえ魅力的に感じるのは、どんな女性なのか。
“一度この男と決めたら、何があろうとその愛をつらぬき通す”
ジュリエットやオフィーリア、そしてデズデモーナ。信じることの皮肉と破滅。
 
『男と女が持つ、愛の危険』
““強烈に愛し合っているからこその、破滅!” シェイクスピア悲劇作品の共通テーマ。
 
そして、その真理に気づいたとき、イアーゴーは最後にこう語る。
「なにを聞いてもむだだ、わかってるだろう、わかってることは。
いまから先おれはひとことも口をきかんぞ。」

                     
彩乃木崇之、菊地一浩、那智ゆかり、鈴木麻矢。この4人が久々に揃いました。1999年の「から騒ぎ」以来、なんとも丸7年ぶりの共演です。彩乃木・菊地・鈴木は、ASCの創立メンバー。そして那智さんは、その「から騒ぎ」以来ASCにはなくてはならない存在(現在は劇団友)。その4人による今回の「オセロー」。“4人の俳優で四大悲劇を”シリーズ決定版に相応しい公演となることは必至です。ご期待ください。
また今回は、新人公演を同時に上演します。創立11年目を迎えたASCの本年度スローガン『抜本的改革』のための新人の育成強化の一環です。若き才能に、どうかご支援を。この新人公演では、やはりASCへの客演でおなじみの藤田三三三さんが友情出演してくださいます。 
                                   

“4人の俳優で四大悲劇を”シリーズとは?!
2002年秋の第25回公演「オセロー」から始まったシリーズ。
その名の通り、4人の俳優だけであの四大悲劇「ハムレット」「マクベス」「オセロー」「リア王」をまるまる全部(ダイジェストではなく)上演するという企画。登場人物をむやみに少なくすることなく、すべて俳優の力量でもって瞬時にキャラクターのチェンジを行い、登場人物の内面とその繊細な心の動きをクローズアップさせます。
2003年秋「ハムレット」、2004年秋「リア王」と続き、2005年秋の「マクベス」でシリーズ完結。
今回の「オセロー」は、新演出による決定版。