11月3日の日野のブログへのコメント
トラックバックがうまくいかないので、コメントを掲載しました。
興味をもたれた方は、その本文も読んでみてやってください。
http://d.hatena.ne.jp/satokohino/20061103
ayanogi 『「選んで掴む」という意味が、いまひとつよく分らないのだけど、もし人を信じるとき信じていい人かどうかを選ぶという意味なら(違うかもしれないけど)、選ぶ必要はないかもよ。
出会う人全員を信じればいい。
ただ、そのとき期待はしない。
期待をしなければ、裏切られないから。
「私を信じて」
手を差し伸べるだけで、いいんじゃない。』
# satokohino 『信じるか信じないか、それは自分の目的のために必要なのか、それを見極めなくてはいけないかなと思ったのです。たとえ信じたかったとしても。自分に必要でなければ、結局は裏切られるから。でもそれは、裏切ってるのは自分なのかもしれないと今思いました。自分を裏切ってる。信じたい気持ちと、正しくない自分。
「信じて裏切られればいいじゃないか」という言葉なら想像できるけど、「信じて、期待しなければいい」というのはなんだか相反しているような気がして。。。どういうことでしょう?うおぅ。もう一晩考えます。..』
# ayanogi 『期待=みかえり、ということだよ。
人は人に、期待をするのは当然のこと。
だからこそ、あえてそれをしないように心がける。
ただ、信じる。
無償の愛ということかな。
そんなものは、ほぼまったく世の中に存在しないかもしれない。
だからこそ、心がける。
愛は幻だからこそ、信じる。
そうしなければ、人はよりよく生きていけない。』
それから、彼女の11月6日付の湯川秀樹さんのエピソードもよろしければどうぞ。
下記にコピーしました。
湯川さんのように演劇人として生きられれば、と僕たちASCもいつも考えています。
まだまだ足元にも及びませんが。
今日「NHKスペシャル」という番組で、日本人初のノーベル賞受賞者である湯川秀樹について特集していた。
戦後まもない日本人に、勇気と希望を与えた戦後復興のシンボル。
しかし、自分の研究してきたことが、戦争に使われる。
核爆弾となって、人類を破壊する。
アインシュタインも湯川秀樹も、決して決して、人類殺戮兵器のために研究してきたのではない。
湯川は、「真理を追究することが世の中に役立っていく」と思って研究をしてきた。
そしてその進んだ道は核爆弾に繋がっていた。
「別の言い方をすると、私のように物理学なぞをやっている世間離れした人でも、世間に対して責任があるということ。
責任から逃れることはできないということ」
と口にしていた。
それから彼は、核廃絶のために一生を費やす。
核兵器は、絶対悪
人類と絶対に共存できない
国家や国籍に関わらず、問題の解決に戦争を用いてはならない。
至極当たり前のことを言っているのに、受け入れられないのは私には不思議です、と言っていた。
それでも、癌に侵されながらも繰り返し繰り返し訴え続けた。
しかしインタビュアーに、「理想は現実になるという信念のもとでやってらっしゃるのですか?」と聞かれると、
「そう思ってやるしかないでしょう」と言っていた。
50年も100年も先の未来のために、物理学者として、使命のために命のすべてを使った。
手帳の1ページ目には
「一日生きることは、一歩進むことであれ」
と自筆でメモしてあるそうだ。
生きるとは、何かをする責任と義務がある。
何のためになのかは、人それぞれかもしれない。
でも、人類はひとつ。
「ただ死んではいけない」と言っても、違うのかもしれない。
死んじゃいけないのは無条件にその通りだけど、
死ぬよりも、やるべきことがある、
まだ、なんにもしていない、
私も、まだ何もできていない、
だからやめるわけには、立ち止まるわけにはいかない。
そして、それがあるから死んでられないし、
それがないと生きていられない。
痛ましい。
が、実際に戦争を体験された方の実感は沸かないのは、私たちの年代では仕方のないことだろう。
でもやはり、人にはそれぞれのやるべきことがあるのだと思う。
それは絶対に、人を死に追いやったり戦争だったり核兵器だったりテロだったり、
そういうことではないはずだ。
もっと、笑ったり感動したり、心を動かして皆で生きていく、
そういう世の中。
私はそのために、今お芝居ができることが、
観てくださる方がいることが大変なことだと思う。
そういう想いで、次の舞台をつくります。
(satokohino)