“シェイクスピア † アラカルト”初演成功の鍵

2012.11.19(月)
シェイクスピア † アラカルト”初演成功の鍵
  一橋大学 国立キャンパス本館 31番教室
 『舞台芸術論』の講義内にて。
 “シェイクスピア † アラカルト”初演
(この記事は、愛すべき相棒日野聡子のブログより転載したものです)

お蔭様で無事、成功に終えることができたと思います。

いただいた言葉の数々。笑顔。

この公演に力を貸してくださった方々。

すべての人たちの顔が浮かびます。

本当にありがとうございました。


 + ☆ + ☆ + ☆ + ☆ + ☆ + ☆ +


今、正直な気持ちをここに記しておこうと思う。

この体験は初めてで、そして、この達成感を得られた理由がちゃんとある。

私は自己正当化ばかりで、それで自分や仲間の足を引っ張ってきた。

そんな自分に、事実としてここに記録しておきたい。


まず、不健康な我慢はしないことにした。

演技において、私以外の人が言うことはきっと正しい。私が変わればそれでうまくまわるんだ、変えられないのは自分が下手なだけだ。

それをヤメタ。

わからなければわからないと言う。

気持ち悪ければ、なんか気持ち悪いと言う。

そして、なぜわからないのか、気持ち悪いのかも、伝える。


これが、今までと大きく違うところで、今回の収穫を得た鍵だったのだと思う。

伝えるには勇気がいるし、自分のわがままや弱音なだけかもしれない、

口にしない方がリスクが少ないと考えてしまう。

でも失くすことはできない、ちょっとずつ狂っていく。


お芝居の良さの一つには、共演者との信頼が絶対に必要ということ。

私はこれまで本当に相手役を信じていたのか。相手役をちゃんと見ていたのか。

虚構の物語なのに、現実としての信頼関係があって初めて、虚構を演じられる。

もうすぐ9年目になろうとしている師匠彩乃木さんとの共演。

シェイクスピア37作品のうちの6作品を、二人だけで役を変えて演じる。

これまでの私は、師匠の言葉を絶対とし、卑屈にもなりながらしがみついてきた。

成功の為に、それを選んできた。

そこを抜けられたのではないかと思う。

今回、絶対に成功しなければ、という思いがあった。

成功とは何か、を考えた。はっきりとはわからなかった。

上演後、成功した、と思えることが成功だ、ということはわかるから、そこに向かった。

その為には何があればもっと良くなるか、そこに集中した。

そしたら、気持ちが広くまっすぐになった。

言われたことだけにただがむしゃらになるよりも。

「目の前の人を大切に」

やっと分かり始めたのかもしれない。


今回、採用されたことがいくつかある。

黒板への作画やプロローグの導入などの提案、

具体的な演出までも生意気にも発言し聞いてもらえた。

思いついたことが稽古場で形になっていった。

嬉しい。

演目の決定は、とても不思議な体験の積み重ねでできた。

彩乃木さんと稽古していく中で、自然に決まっていった。

稽古では、その時の衝動を信じてお互いがやりたいシーンを連続して演じていく。

あらかじめの打合せはしない。

まだ初演のお話をいただく前のことだが、

ある日の稽古で『マクベス』を始めたくなりセリフをしゃべり出した私に、彩乃木さんが応じてくれ、今回上演した基本の形が偶然出来上がってしまった。

その直後『ハムレット』がやりたくなったのだけど、やるなら第三独白から始めたくて、

それならハムレットを演じる彩乃木さんに始めてもらわなくてはならないけれど、

口に出して伝えるのはつまらないから、じゃあ私がハムレットを始めてしまえばいいのかと思った瞬間、彩乃木さんが始めて、

こんなふうに次の衝動が合致することがよくあって、すごく面白かった。

こうやって、今回の一橋大学バージョンは出来上がった。


本番で黒板に作画をお願いした四谷デッサン会の人たちにも、稽古場でも本当に力を貸していただいた。

稽古場は恥をかくところだから、関係者以外の人がいるとさらけ出せなくなる。そう思って、これまでは稽古を見られるのが嫌だった。

けれど、“シェイクスピア † アラカルト”は、いつでも・どこでも・なんでもがキーワード。

ノックしてくれる人を拒むなんてもったいない、こちらからだってどんどん迎え入れたい、出掛けていきたい。

それで、彩乃木さんと相談し、稽古場を開放。

最も何度もいらしてくださったのは、夏合宿でも力を貸してくださった四谷デッサン会の皆さん。

皆さんの前でだって、恥をさらしたっていい。

さらすかぎりは思いっきり。

「自信をもって間違えろ。」

師匠の言葉。

さらした恥すら描いてくださる。

こんなに肯定してもらうってあるだろうか。

何度も力をいただいた。


舞台芸術論』という講義は、一体何か。

そこを考えたのも、これまでと違う。一体何を求められているのか。

自分が信じるものを表現にし、観ていただくのが公演。
それは何も間違っていないと思うのだが、その中で、なんだか飲み下せない何かを感じ始めていた。

その違和感みたいなものに、この数年向き合ってきた。

お客様のご要望を追求してこそ、本当の美味しさが表れてくるのでは?

相手がいて 初めて 自分が生かせる。

そんな思いを彩乃木さんが掬い取ってくださり、今回マーケティング調査をすることになった。
一橋大学の小関先生にもご協力いただき、学生の皆さんに事前アンケートをお願いした。

それで発見したことはとても大きく、そこから一気に稽古が変わった。

短期間だった。

湧き起る衝動のままに進められてきた稽古の中で、今度は“見せる”ということが大きなテーマとなった。
そして、見せるためには、プランニングが必要になる。

プランニングがある上で、即興で演じる。

プランニングと即興という、一見相反する2つの要素を実現するには、常に「挑戦」の意志をもつこと。

この二文字を幾度となく彩乃木さんに言われた。

様々な制約の中での、即興の自由。それを可能にするのは挑戦の心。

師匠が挑戦して良いと言うんだから、して良いのだ。

私が例えば転んでも、必ず救いとってもらえる。

また、その逆も。そう信頼してもらっているように感じた。勝手な想像かもしれないけれど。

挑戦とは、感謝の表現なのだとも思った。

感謝はたくさんしているつもりなのに、伝わってないなら、

伝える方法は、挑戦すること。

そして、挑戦するには勇気がいる。

勇気の源は、感謝したい相手にある。


本番をこんなにワクワクする気持ちで迎えられたのも初めてだった。

期待と武者震いで、本番前の1週間は毎朝早くに目が覚めた。

「挑戦すること。そして、新たな課題が見つかることが、今回の成功。」

そう、課題は見つかった。

こんな充実した体験を書き記したけれど、私自身は大失敗もしている。

それを思い返すと悔しくてたまらない。

というか、実は達成感の喜びよりも、悔しさの方がずっと大きい。

『ペリクリーズ』で、私は挑戦しようとしていた。

その挑戦の勇気を、自分から生み出そうとし、結果失敗した。

目の前にいる彩乃木さんを見ずに、自分だけでなんとかしようとしてしまった。

彩乃木さんは掬い取ろうとしてくれていたのに。

挑戦は、一人では成し得ない。

挑戦の一瞬前に恐怖があるのは当然で、その時必ず目の前の人は手を貸そうと構えてくれてさえいる。

そんな大事なことが、あの時見えなくなっていた。

申し訳ないという気持ちとともに、本当に悔しい。

この悔しさは、また次のステージを考えさせてくれている。

勇気と感謝と挑戦。

一橋大学の学生の皆さん、

小関先生、

四谷デッサン会の皆さん、

この企画発案から助言をくださった皆さん、

気にかけてくださっている皆さん、

次に出会う皆さん、

そして彩乃木さん、

本当にありがとうございます。

私自身、やっとスタートに立ちました。

まだまだ未熟な私ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
 
日野聡